2012年3月30日金曜日

もっと行動力を

また、一週間が終わる。
きっとこの週末は、他の会社では通常の一週間とは異なり、来週からは新入社員などが入ったりする、
大きな節目の週。


この一週間、ドタバタとしていた・・・・と思ったけれど、クライアントに提案した日がない。
そう考えると、この一週間は自分は何をしていたのかと反省する。
いい意味で自分を反省する時間をもったりすることはできているけれど、以前に比べてスピード感が非常に低下しているように思う。
案件に対して「頭の回転率」が遅くなっていた。
忙しい時は、電車に乗っている時や歩いている時、あらゆる時間で色々なアイデアを考え、もっとスピードをもって行動していた。

考えるだけでは行動が伴わなければ意味が無い。

シャカリキに、提案する。 その行動力が足りなかったと反省。



行動が無ければ、お金を生まない。




もう一度、自分の尻を叩き直そう。

選択の間に反省

7つの習慣にあった反応性と主体性についてふと思い出した。


今年になって、自分からの「主体的な行動」を意識してやっているが、本当にそれが正しいことなのかどうか、自ら動くことが主体性ある行動なのか、ということに何となく不安になってその言葉を改めて読み返してみた。

主体性とはどのような状況に置かれても、自分の価値観に基づき反応を選択すること。とある。
逆に、反応性とは、状況や気分によって、反応性を決めること。


そしてコヴィーは、
主体性のある人は、刺激と反応の間に自分の価値観に基づき反応を選択する間がある、と言っている。


正直に、自分を話し、相手を聞いて理解しようとしているけれど、なかなか難しいことがある。
「仕方ない」と諦めてしまいそうな時がある。


自分ではそれが主体性をもった行動だと思っていたことが、「自分の価値観に基づき反応を選択する間」を持って聴いた話に対して応えていたかと顧みると、もう一度考え直さなければならない自分がいる。



2012年3月25日日曜日

寝て過ごした


昨夜はハンバーグを作ろうと思いながら、急遽カレーを作り、食べる前にスーパー銭湯に行った。
合計で3回ほどサウナに入る。


サウナに入りながら新陳代謝されている感じが好きだ。
体を洗ってからお風呂に入る。
その後にサウナに何度か入ってもう一度体を洗う。
2回目に体を洗っている時に、開いた毛穴から汚れをおとしている感じが好き。
そしてまた、ゆっくりとお風呂につかる。

どこかで、汚れや疲れが溜まっているのをおとしているだけでなく、
精神的な部分での何かもおとし、清浄されている気分になる。
それは、ストレス解消というよりは、自分を一新させる感じ。


お風呂からあがり、すぐに水分を摂りたくなる。
それを我慢して一杯目に飲むビールは格別にうまい。


昨日は家に帰るまで我慢して、帰ってすぐにビールを飲みながらカレーを用意した。
昼に起き、カレーをまた食べて少ししたら寝てしまった。
まさに寝て過ごした一日。



店に来てコーヒーを飲みながらこれを書き、本を読んで帰る。


いつもの、夜の時間帯にいるスタッフがいて、新聞を読みふけっているおじさんがいる。
今日は、最近慣れてきたいつものスタッフが、席に着く前に「コーヒーでいいですか?」とメニューを渡さずに注文を確認してきた。
そんな自分も、いつもの席が空いていたので、その席に座っている。


あまりにも寝て過ごした一日だったので、せめてその寝て過ごしたということを「意識」しておこうと、
これを書いてみた。


しかしまぁ、我ながらメディア力のないブログである。

2012年3月23日金曜日

JOB


自分にとって、それは仕事ではなかった。

自分は今の仕事が好き。
誰かに喜んでもらおうと考える。

自分は、決して「仕える事」と感じていないことを小山薫堂さんの言葉で知った。
今いる業界でその幅を拡げたいし、それは人脈や仕事の内容について多くのことを学び、吸収したいと思う。それに、小山さんと同じように、日々の生活で何か楽しいことを考える自分がいて「私事」と感じれる部分もある。
そこに終わることない自分の成長の「志事」なんだろう。



仕事とするか、志事とするか。


自分は後者を選ぶ。
















共通していて嬉しかったことが一つ。

まずは身近な人を喜ばせてみることを考えるという誕生日の話。

上司の誕生日を喜ばすことを考えなさいと新人に言った、ちょっと昔のことを思い出した。

そんな昔の話は、今の自分には大きく辛い部分もある。

今の自分には一年で一番大切な誕生日が5月にある。

自分がその人を祝うという資格がないかもしれないし、その行為自体が悲しませることなのかもしれない。

もし祝ったとしても、その先にはそれ以外でとても辛かったり、寂しい想いだったり、自分に嘘をつくかもしれない。

今はまったく、自分の抱える問題の先が見えないし見えてきそうな気配もない。

でも必ず、来年の5月には、面と向かって言える自分になりたい。

出会った年に祝った誕生日よりも大切な日にしたいと心から思っている。

俺にとっての一番の、一番大切な志事。




今、二つ隣の席に、いつものおじさんがやってきた。
きっと毎日来ているんだと思う。
毎回、いくつもの新聞を束ねてもってきて、数時間にわたって読んでいる。
そんなおじさんを見るのも、いつもの生活に戻ったと感じるひとつだ。




2012年3月19日月曜日

突然

家のチャイムがなった。


フラフラの状態で、突然現れた。39.3度。家の前で崩れ落ちた姿。


その後自分の対応が正しかったのかは分からない。


全ての人を大切にする。聴く耳を持ち、理解する。



本当に可能なのか・・・。


誰かを守ると誰かを傷つける。



自分が嫌になる。



2012年3月17日土曜日

スターバックス

やっと、Howard Beharの本を読み終えた。


過去を思い出しながらその感想は、
彼の云う「人」を通じたスターバックスを、ある一店舗のチャックとそのスタッフを通じて、
自分自身も体感していたということが全て。




初めての英語での注文はホットチョコレートを頼んだのに、ホットコーヒーが出てきた苦いスタート。
英語を話せない自分が、「Can I talk to you?」と見知らぬお客に声をかけ、少しでも英語を話そうとトライしていた場所。
友達とくだらない話を何時間もして過ごした場所。
ゲームで負けて、20名くらいの仲間に奢らされたりもした。
親友の彼女が妊娠したことを知らされた場所。
プレゼンテーションの練習で、店の人に聞いてもらったり時間を計ってもらったりもした。
商品ができるあがった時に、自分の名前で呼ばれて「Yes」と絶対に親に怒られないであろう、大きなハッキリとした返事をしていた。
挨拶とちょっとした会話だけど、毎日のように通った。 





彼のいうように、“雑音”はなかった。


彼がいうように、スターバックスでの体感を求めて通っていた。


まさに自分は、“体感を提供する”スターバックスへ通う客だった。




2012年3月16日金曜日

昇るのか?

展示会に行ってきた。


昔の同僚や、数年前にお世話になった元クライアントの方に会った。
最後の帰り際にも、別の元クライアントの方と偶然にも会い話をしながら帰った。
「いつでも遊びに来な。」という言葉は嬉しく、いつか一緒に仕事をしたいと思う。
過去のクライアントと仕事をするためだけであれば、前の会社にいればよかった。
もっと大きく成長したいと思って会社を辞めた。
だから、今、仕事をくださいということをあまりしたくはない。
但し、人脈は切るものではない。
環境が変わるごとに人脈を切ってしまえば、積み重ねていく人生はない。
今日、こうやって再開するかもしれないと思っていた人ではなかったので、予想だにしなかった方々との再会は嬉しかった。


自分で思い通りにいくかは分からない、但し、今思い描いている少し先までのシグモイドカーブはある。
仕事のスキルももちろんではあるが、この人脈という要素がなければ何も先に進まない。


自分のなかで、今週少し、そのカーブが昇り始めた感覚がある。
たまたまなのかは分からない。
きっと4月が終わるころまでに随分と結果が見えてくる。


さて、本当に昇りはじめるだろうか・・・・?


希望と不安の狭間にいるけれど、頑張って昇ろうと改めて思う。
そして、それは誰かが昇らせてくれはせず、自分で昇るしかない。

電車に揺られて


時折、まだまだ寒くなる夜があったりもするけれど、温かくなってきた。

今日は随分と電車に揺られる。
だから、ちょっと書いてみた。

4月に入るとしばらくの間、新入社員なんだと明らかに分かる人を散見し、電車に乗るだけでも少し新鮮な気持ちになることがある。
年に2回、正月と4月の始まりは、気持ちのスイッチが新しくなる。




昨夜、NHKの番組で、仕事をくれたお客さんに手紙を書く女性がいた。
字の体裁が綺麗というのもあるが、それでも気持ちは伝わるだろうと感じた。


突然、今あるお客さんに手紙を書くのも変だし照れくささもある。
それでも、気持ちを込めて綴った手紙を、何かをきっかけに数通送ってみようと思う。




寝る前に、たまたま見つけた青山フラワーマーケットのネット記事を読んだ。
個人的に花を購入することはほとんどなく、店舗の前を通ることはあるけれど、
店内に入ったことはほとんどない。
おしゃれ感があって、いかにも東京という感じの花屋だとしか思っていなかった。



“Living With Flowers Everyday”というのが井上社長が掲げた理念。
そこに、クリエイティビティな仕事をするという考えをあわせ、
通常の花屋とは違った戦略をとった。
「個人需要で且つ荷非常生活で需要があるようなお花」にターゲットを絞りこんでの店舗展開。
冠婚葬祭の需要ではなく、日常生活。
そこで、仕入れも通常は開花前の花を仕入れて販売するのだが、同社では開花してそこまで日持ちしないものを安く仕入れて安く販売する。
廃棄率を考慮して利益を取るのでなく、回転率を高めた。
それは理念に基づく。
そして、頻繁に変える花のある生活のクリエイティブし、消費者に提供している。
また、井上社長の現場主義にも共感した。
先日ブログに書いたことと全く同様に、逆ピラミッドであることを述べていた。
お客が一番上で一番大きく、社長が支点となっている。
そしてバイトが7割にもかかわらず、クリエイティブを考える主体性ある現場をもっている。
どことなく、ディズニーと重ねて読む自分がいた。



おしゃれに見せて、高いんだろうと本質を見ずして通過していた店舗。



一度、ちゃんと立ち寄って、購入してみようと思う。

2012年3月15日木曜日

頭に残って・・・

離れない。


「思いやりをもたないことは、思いやることと同じくらい強い影響力がある。」
スターバックスのHoward Beharの言葉。


そして続く・・・、
人に対しての思いやりをかけたら自分も思いやられるとはかぎらない。
必ず見返りがあるわけではない。
だが、思いやりの心がない人が、思いやりのある組織をつくることはとうていできない。


対話すること、傾聴することと、相手が話せる環境を創りだすことが語られている。



無我無心を辞書でひくと、我欲やよこしまな心のない純粋な心とあるが、彼は先入観なしに思いやりをもって耳を傾けることが必要であるとも言っている。



そして、全ての人にである。




何度も何度も自分を思い返すと、独善的だった部分が浮かんでくる。




相手のいうこと、望んでいること



顧客満足とは、顧客が感じた価値から事前期待値を引いたもの。
お客のニーズに対してどれだけ応えれているか、ではない。


昔、上司に言われたり、自分でも+αの提案をと頭に入れていたにもかかわらず、正直、お客のニーズに対してどれだけ応えられているか、という100点満点のうち何点くらい相手は満足してもらえているか・・・という計算式で顧客満足というものを理解していた。


カスタマー・マイオピアという言葉を知った。
今までで失敗した経験のなかで、お客さんが本当に求めていたものは異なるにも関わらず、その目の前にあることを全て鵜呑みにしてしまった経験があった。




今までに好きになった店や取引先のことを思い返す。
思い返すと、そこには求めるモノやサービスだけでなく、人柄やそれ以外の何か惹きつけられた体感がある。「あそこは安かったから」というだけものはない。



よくしてくれたクライアントのことを思い出し、自分が何を提供できたかを考える。
そして、今後何を提供できるのか。


自分の会社を俯瞰し、今はまだクライアントの満足させてきれていないこと、今後変えていかなければならないことを考える。





昨日、ホワイトデーに渡した。















今日、すごく嬉しかったというメールが来た。
バレンタインをもらったわけではないので、そのお返しではない。
ただ、ホワイトデーにふと思い出して渡した。



昔、仕事であまりにも疲れているときに席につくと、小さなメモと一緒に野菜ジュースが置かれていたことが何度かあった。その心くばりがあまりにも嬉しかった。



伝えてはいないけど、ホワイトデーをきっかけとして、今回はそのお返しと感謝の御礼です。


そして、会えたことがとても嬉しかった。
お返しと感謝も忘れていないけれど、会いたかった自分がいたことが本音です。


2012年3月14日水曜日

いい天気

朝からテレビで静岡県の河津桜が映し出されていた。
いつもは2月下旬が満開なのに、今年は寒さの影響で遅い開花になったらしい。
レポーターの持つ温度計は0度を示しているというのに、後ろには満開の桜が映し出されている。
初めの一本の桜から数千本の桜になったという。


寝る前に思いついたケーキやがあり、HPを見てみると水曜日が休日だった。
落胆して寝たものの、もしかすると、ホワイトデーでやっているかもしれないという一縷の望みにかけ、
11時過ぎに電話してみた。
なんと、今日はホワイトデーで特別にやっているという。
そして、お目当てのケーキも残り8個だけあるという。


思わず取り置きをしてもらった。
昨年、初めて行った時にはその人気の高さを甘くみていて、行った時にはケーキが一つもなかった。
14時くらいだったか・・・、既に予約の人が取りにくる為だけに開いている状態だった。


そんな、ちょっと思い出のあるケーキ屋。


打ち合わせに向かう途中の駅の宝くじ売り場前で「本日、大安吉日」というフラッグが掲げられていた。
少し、そんなフラッグに納得しながら歩き電車に揺られながら書いてみた。


晴れ晴れとした天気とともに、気分もいい。

反省の空白な日


仕事において、グッと何かを推し進めた感のない一日。
何かの仕事に追われていたわけでもないのに、何も見つけようともしなかった。
要はダレていた。


昨日の経験知からすると、それは意識のない日だったということになる。


無意識な日、だった。



書いていて思い出した、昨日もらったメールの写真。























意識して街を見るようにしてみな。
普段歩いている街や通勤途中、その広告などを意識して見てみよう。
自分の目についた何でもいいから写真を撮ってみよう。


そんなことを、約2年前の4月に、新入社員に話した。


昨日、その子から「今年もありました。懐かしい。」というメールがきた。
「意識しよう」と言ってから、日々“意識する”生活を重ねてくれた。
彼女は今でもそれを続けている。



「スタート時点だったね」と返事をし、この自販機の写真のことを俺自身も覚えているということは、
こういう写真を撮りました、という報告を受けた時に、自分自身もしっかりと意識をもって聞いていた
ということだね、と話した。




そんなことを思い出すと、意識のない「空白」の一日、無意識に過ごした一日にさらに反省。




だから・・・ブログで初めてのことをしてみた。
写真の添付。
反省する最後に、少し意識をもって、新しいことをしてみようと思い、
小さな小さな、自分の反省へあがいてみた姿・・・・。






これを書く前に仕事のメールを一通送ったら、こんな時間に仕事していることにビックリしたらしく、
「まじで!」という返事がきた。
上司が帰らず、まだカラオケらしい。
こっちが「まじで!」ですと言い返しておいた。
そんな相手は、大切で大好きな、本当にお世話になっているクライアント担当者。




3月14日、ホワイトデーだ。
明日、近くにまで行く。。
もらってないけれど・・・何か渡したい自分がいる。



起きて考えよう。

2012年3月12日月曜日

もっともっと意識を


行動観察というセミナーで、エスノグラフィという言葉を初めて知った。


リサーチ手法の一つで、元々は人類学で、異なる民族や人種、文化を持つ人々の行動様式を解析し、理解していくものらしい。
そこで必要なのが「行動観察」ということ。


例えば、「トイレに行った後に手を洗いますか?」とアンケートを行った際、9割以上の人が手を挙げるが、実際にトイレで手を洗う人は、特に男性ではその割合が極端に減る。
ある朝食の調査で母親に朝食について聞いたところ「子供がいるので、朝食はしっかりと、栄養のあるもので数品を食べさせるようにしている。例えば、パンとスクランブルエッグとサラダや果物と牛乳。」という答えがあった。しかし実際に観察してみると、生活では子供や自らの身支度などで時間がなく、パンと牛乳といったようなモノしか出ていなかったりする。
アンケートに回答する際に虚偽を行っているのでなく、“そうしたほうがいい”“そうであることが理想”というフレームが存在してしまう。


話の冒頭、「人間の9割は無意識に行っている為、言語化できない」という話があった。
意識というのは、自分がそうしている、そう考えているということを、もう一つ別の意識が顧みることで意識付けがなされる。


起きてから自分が生活している間に意識はある。但し、普段歩くことに意識をしていないし、信号が赤から青に変わって歩くことにも意識はない。日頃の殆どの行動で別の意識を持っていることはない。



潜在意識と顕在意識。
少し調べてみると、潜在意識と顕在意識が一致したときに、自分の創造があることが記されている。


仕事のうえで、「意識すること」を意識していた部分はあった。



仕事で多くのことに行き詰ることがある。
一日の行動をもっともっと「意識づけ」してみよう。

意識していなかった・・・と気付ける部分が一つでも二つでも見つけれるかもしれない。



ビジネスで応用され始めている行動観察やエスノグラフィということに出会い、
今思うのは自分自身の行動を客観的に見直してみよう・・・ということ。




それと、
セミナーに出て初めて、全く声をかける必要がなかったのにもかかわらず、声をかけ、名刺交換をした。特に今後のビジネスで何か繋がることはない可能性が高い。
それでも、また一人、新しい人と出会った。
顧客でなくとも、もしかすると共創して顧客を創るパートナー企業として繋がるかもしれない。
こういう継続が、いつかどこかで、誰かと繋がると信じている。
繋がる可能性は低いが、新しく、何かで繋がる可能性を創りはした。
それがどことなく嬉しくセミナーから帰った。
これも、“顧客を創造する”というスタートの一つに違いない。



自分の責任


毎日、様々なことがある。
充実を感じる日もあれば、悲しかったり憤りを感じたり、楽しかったり、嬉しかったり。
解決しないことに頭を悩ませたり。
自戒の念を抱くこともある。
日々を綴ると、そんな刺激のある毎日があることを知る。


でも、最後には前を向かなければならないし、次に足を踏み出さなければならないと思い、一日が終わり、次の日を始める。


ちょっとしたメールや言葉で色々な人からサポートされていると感じる。



「自分のキャリアや成功は、自分で責任を持たなければならない。」


その通りだ。


あくまでも、そこには内的要因がある。今年の目標に還る。
全ては自分にある。周りではない。
今年になって「仕方ない」という言葉を使わないと注意しているが本当に難しい。

特別な日


テレビを見なくとも、3月11日を迎えることは自分にも刻み込まれているし、その日を忘れることはない。

幸いにも、直接の身内や友人で大きな被害を受けたことはなかった。
それでもあの日を忘れることもない。
その後の情報を追いかけていた。
Youtubeにアップされた多くの動画を見た。


3月11日を区切りにして、その後の一年にあったことを思い出す。


昔、福島県の方から桃園についての話を聞く機会があった。
その方の桃に対する愛情が忘れられない。
福島県産の桃を全国で販売する立場の方ではあったけれども、最高の桃を届け、食べてほしいというその熱い情熱を感じ、食い入るように話しを聞き、桃園を想像していた。


地震があって暫くして、原発による農業への被害が大きく報道され始めた時、真っ先にその方を思い出した。



震災の日を思い出すことによって、そこから復興へ向けて歩み続ける人々を見ることによって、自分の悩んでいることがあまりにも小さなことだと思い知る。
自分が今抱えてる悩みなどは、あまりにも小さなことであるということを考え、自分自身がその日を迎えることによって鼓舞される、そんな特別な日でもある。



いつか、あの日聞きながら頭で思い描いていた、目の前に長く続く、沢山の実をつけた桃の木を見に行こう。あの方が愛情を込めて全国の方に食べてもらいたいと語っていた桃を食べに行こう。
きっと、そこに強く復興を感じ、とても美味しいものに違いない。


2012年3月11日日曜日

会う


髪を切った。
いつものように話しながら、プライベートなことや仕事のことを話す。
俺を担当している人は30を迎える今年には、どうしても恋愛をしたくて仕方ないらしく、
巷でいう婚活をしているらしい。
環境を変えようと年内で辞めることを考えていて、既に店長に話したということも聞いた。
どことなく寂しかった。



飲んでいると電話がなり、明らかに今から会おうという雰囲気が伝わってくる。
そして会うことにした。
もう既に23時を越えていてほろ酔いでちゃんと話が出来ない自分がいたので、
飲みに行きたいと言われたけれど映画を見に行くことにした。
そして家に帰って寝た。


自分で辛い思いをさせたことがずっと胸の奥にあるし、
もう辛い思いをしたくないと言って泣いている人が目の前にいた。


特に何かをしてやれるわけでもない。
何をしてあげることが一番いいのか、分かっているようで出来ない自分もいる。
ヒシヒシと想いが伝わってきて、最もな言葉をかけてあげればいいのに、
やはりそこに踏み切ることが出来ない自分もいる。


心の琴線に触れて楽しそうにしている姿が見えもするし、
でもそれを切ってしまい、辛い思いをさせてしまいそうな自分もいる。


いい歳になって、人ひとりすら大切に出来ない自分にやきもきする。



2012年3月10日土曜日

休日

いつもと変わらない週末なのに、起きてから落ち着かない。

理由は分かっている、来る予定のない一通のメールを待っている。



こんな感じの気分になるだろうと、前もって気分転換に髪を切り行こうと予約しておいた。
月1程度でいつも行く美容院は、自分のはけ口のようなもので、色々なことを話す。
仕事であったり、人間関係であったり、旅行や楽しい話しであったり。
その美容院のスタッフと、少しアンティーク調の雰囲気が大好きで、こじんまりとした空間の中で過ごす一時間程度のその時間で心身共に落ち着く。
今の家に引っ越ししてきて、10軒程度の美容院に行き、「ここのスタッフがいい」と見つけた場所。


ストレスやモヤモヤとしている自分がいる時、そういう自分のバランスをとるための方法の一つ。



ゆっくりと過ごそう。

What's Up? How you doing?


本屋に立ち寄って、「スターバックスを世界一にするために守り続けてきた大切な原則」という本が目に入り、思わず手にとって購入した。


まだ、内容は何も知らない。




本を手にとって、ふと、懐かしく思い出した。


チャックというスタッフがいて、ほぼ毎日スターバックスに通っていた時期があった。
一日に2回以上いくことも少なくなく、ほぼ毎回グランデのモカを頼む。
もう、10年以上前になる。


オーダーしたり、商品を受け取る時に挨拶をする。
別に他の話を多くするわけでもない。
ただ、その笑顔だったり周りのスタッフとも毎日のように交わす挨拶だけで、他の店舗にはない充実感があった。



チャック以外のスタッフも大好きだった。
サッカー好きで、「俺はイングランドのサッカーが一番好きだ。フィールドは綺麗だし、シャツを出さないマナーも最高だ」なんて語る奴がいたり、ゲイでちょっと気に入られて、お釣りを渡す時は丁寧に両手で手を握りながら渡す奴がいたり。毎回、グランデを頼むとベンティに勝手にサイズアップをしてくれる奴がいたり。チャックを中心に全員が明るく本当にホッとする店だった。
周りには数件のスターバックスがあり、一番近い店ではなかったのにも関わらず、
チャックのいる店に通っていた。
彼がいる日もいない日も。彼のシフトなんて知らなかった。
最高のスタッフが揃っていて、別のスタッフからは「いくつかの店舗で働いたけど、ここの店舗は最高だ!」と自慢げに働いていた言葉をよく覚えている。



最後に会える日だけ、チャックのシフトを確認した。
そして、今日来るのが最後であることを報告した。
最初で最後、チャックが「俺のおごり」と言っておごってくれた。
その日いたスタッフ全員とそれぞれに写真を撮って、サヨナラを言った。


翌朝、チャックのいない店でいつものようにモカをオーダーし、朝のシフトで入っていたスタッフと挨拶をして空港へ向かった。



自分にとって、あれ以上に温かく感じた店を知らない。



そんな昔のことを懐かしく思い出しながらきっと読むんだと思う。
あの空間に、あのスタッフたちが醸し出す雰囲気が全てだった。
「人」以上に惹かれたことを思い出せない。



きっともう居ないんだろうけど、チャックは元気かなぁ。
他のスタッフの顔は覚えているのに、名前が思い出せない。
チャックの彼女は元気かなぁ。ペットの犬は元気かなぁ。


あの温かさが懐かしい。




2012年3月9日金曜日

どうして来たの?


そう聞くと、「直感で来た」と答えた。

一昨日から何か大きく変わることはないのに、また会った。


でも実は変わったことがある。
明らかに違う。一週間前には想像出来なかったこと。
目の前で話すその口調とその表情。




寝不足だけど、清々しい気分の朝。
でもどこか寂しさも感じる。嬉しさもあるし、歯がゆさもある。
様々な感情が交差して難しい。

でも、昨年の夏とは違う。
激しく大きな感情ではなく、ゆっくりと広い感じでいる自分がいる。




成長は右肩上がり。
でも、拡大してみると山あり谷あり。



仕事だけじゃない。人としての成長もそういうものか。
今、自分の曲線を拡大してみるとどっちにいるのかは分からない。


数年後なのか数十年後なのか、振り返った時にどこにいたか気付くんだろう。


ただ、今だけを見ると、いい一日だった。
寂しさもあるけれど、嬉しさのない一日よりもよっぽどいい。
嬉しさのあった一日だったので、その分寂しさを感じているだけ。
そうであることは十分分かっている。


直感で来てくれたことに、ありがとう。


2012年3月8日木曜日

初めて見た姿


お世話になっている人がいる。
最近は、仕事場でもなかなか会えずなくなっている。
もうすぐ手術を控え、頻繁に通院することが多くなり始めた。


もう、初めて会ってから10年が経つ。
仕事でもプライベートでもお世話になった。
自分の社会人としての基礎はこの人にあると言っても過言ではない。
社長とはいえ、世間一般に言う何十億も稼ぐほどの“出来る”会社経営を行う人ではない。
それでも、昔からの付き合い長い方、それはお客さんであったり、もう引退されたかたが、
社長の体調や会社を心配し、何かあったらと手伝うよと連絡がある。
昔から付き合いが長いから・・というビジネスではなく、上席は上席で、現場は現場の人間で上手くやっていきましょう、それを継続しましょうという声を聞くことができる素晴らしい関係。
女性ではあるもののいつも気丈に振る舞い、情のある方。
時に厳しく、時に優しい。


そんな社長と久々に仕事場で会った。
ふと話をしていると、手術が怖いと言い始めた。
初めての手術ではないが、数十年ぶりに受ける手術、通院し始めて、昔との体力の違いを身体自身が感じ始めて発した言葉のようだった。


月末に手術する。
その後も暫くはリハビリ生活が続く。
2~3カ月を予定しているものの、きっと半年から一年くらいかかると見込んでいる。


「少し怖い」と垣間見えたその姿が、自分にとってショックだったのかもしれない。
ただ、「何かをしよう」と思う。
仕事なのか、元気づけることなのか、それは分からない。
ただただこの人から学んだ大切なことを、少しずつ恩返ししていきたい。
学び、お世話になる立場から、少しそういうフェーズに入ったのだと感じる。




あの人が元気になるために心強くなる企画を考えよう。



どうして上回る

不思議な日だった。
困難でなかなか道が見えなかった方との仕事の道筋が見えてきそうになったり、
カフェで待っている間に、暫く連絡の途絶えていた方からメールがきたり、
会おうと思っていた人と、想像もしていなかった場所で会ったりと。



来ないということを確認して帰ろうとしていたのに、いきなりかけてきた電話で、
どうして自分の想像を越えた場所にいる?


でも、しっかりと話せてよかった。


自分の、変わらない複雑な状況や、仕事などの色々な考え、きっとありのままに話した。
情けない回答なんだけれど、ありのままの状況。
CMで流れている「男でごめんなさい」っていう感じなのかな。
でも、伝わって良かった。

これからも、大切な人は堂々と見ておこうと思う。



自分にとっては、仕事も同じなんだろう。
今日、会った方に聞かれた。
「最近はいつもそうやって営業活動しているんですか?」と聞かれ、「一緒に仕事をしたいからです」と答えた。メールが来た方にしてもそう。今はまだ仕事をするのに障害があるけれど、いつかまた、一緒に仕事をしたいと思っているので、ずっとメールしたりしてコンタクトをとっていた。

会社を退職し、会社を設立した。単なる法人化しただけで、個人事業とさして変わらない。
前職と比べると、会社としての信用も実績も殆ど皆無に近い。
信用を積み重ね、それを継続してしか顧客を創造できない。
但し、これまでで一番、顧客を創造していると感じれる。
顧客との関係を築くために努力は必然的に生じ、それは成長に必ず繋がると信じている。


友人などから転職活動での面接の話を聞いていて思うことがある。
今、これまでどこかに所属していた時とは全く異なる感覚がある。


まだ仕事として成立していない方と会う時、毎回が自分にとって、それが面接なんだということ。
転職活動をするよりも、多く、長い時間をかけて面接を受けているんだということ。
自分であり、会社であるそのValueを伝え、示さなければならない。
相手に自分の存在にValueのあるものにならなければならない。



昔、後輩や取引先に言われたことがある。
仕事している姿で、お客さんと話している時が一番楽しそう、だと。



大切な人に対しても、仕事での単なる顧客としてでなく、大切に付き合う顧客に対しても、
その人の期待を上回る提案ができるように継続していこう。



昨日、自分の身近にいる、大切な人にしっかりと話し伝えたこと。
そういう機会だけでなく、話をしっかりと聞いてくれたその姿にも、改めて感謝。



色々と複雑な状況は変わらない。
でも、ひとつひとつ大切にしよう。
本当に大切なものは、比べるものでなく、きっとどれも100%。



2012年3月6日火曜日

いつものカフェ

やっと着いた。
やはり見当たらなかった。


待ってる時間。



いつも待たせたり、驚かされたり、そんなことをしてくれた人。
置いてきぼりにしてしまったこともある。
そうやって思い返すと、少ない期間に沢山の思い出がある人。


人に喜んでもらったり、驚かしたりすることが好きだけど、
思い返すと、人生で一番、そうやってしてもらったことが多いかもしれない。




先日、いい話だなぁと思ったことを思い出す。

「気くばり」と「心くばり」の違い。

その時、その話で思い浮かべたのは仕事しかなかった。


自分がその人に対して素晴らしいと思ったことは、その心くばりだったんだと、今まさに思う。

ずっと、優しさであったりひた向きさであったりという言葉しか思い浮かばなかった。
でも、どことなくそういう言葉でない素晴らしいものがあり適語ではないと感じていた。


いったい俺は、その心くばりを何回もらったのか。

どうして今さら気付いたのか。




今日は一回くらいは自分で待ってみよう。

2012年3月4日日曜日

目の前に座っていた君


席に着いたとたんに泣いていた。


どうして泣いているのか、その真意を未だに考えている。
悲しいから?寂しいから?怒りを思いだして?
おそらく、どれも正しい。


先日の電話では、怒り、大泣きし・・・そして、翌朝にメールがきたけれど、
俺からのメールに対しては一切の返事がない。
会って話しを聞きたいと来た電話では素っ気ない感情剥き出しだったにもかかわらず、
席に着いた瞬間に泣いていた。



俺に対する怒りだけではないよな。
正直でいない自分と、強く過ごせない自分がいるんだと思う。
俺に尋ねることは、その答えを聞くことによって自分が孤独感を感じ、辛くなって更に自分を振り切ろうとしている姿。
でも俺は、君が想像している生活をしてはいない。
多分、君が想定している回答が俺からかえってこない。


自分が大切だと思う人には、大切だと伝えようと決めている。
君は、俺にとって大切な人。
それで相手が自分とはコミュニケーションを取りたくないと言えばどうすることも出来ない。
ただ、大切だと思うことで大切なのは言葉でなくて、その行為。
そう信じているから、だから遠くからでも堂々と見るし、自分として出来ることはしている。



あの日結局、別れ際はいつものように目を合わせることなく去っていった。
その姿がずっと目に焼き付いている。
それから何百時間か経過した今でも、ずっと考えている。



あれから何度も自問自答した自分の答え。
別れたことが傷つけたのではなく、本当に傷つけたのは、きっと病気である人をどうにかしてやりたいというその主体的な行動だったね。



サーモンを頼んで、ふっと幸せそうに笑う、自分らしい自分が、後で孤独感を生むことが分かっていて悲しませたんだろうね。
積み重ねを、日々のちょっとした楽しいことの積み重ねが大切だと思っていたのに、俺がそういうことに気付くこともできず、出来なかったね。



俺が初めに言ったことを思い出す。
「ストレス溜めるならちゃんと話しなよ」っていうこと。
でも、俺が話さなかったことで、苦しめたね。それも謝らなければならないこと。
人はみなそうかもしれないけれど、マイナスなことは話したくない。
でも、それを話して理解し合えないと長く付き合っていけない。
俺は、誰とどういう形でつき合うとしてもそれを大切にしたいと改めて思う。


だから今でも、ちゃんと話したいと思っている。
今でも、でなくて今、最後に話しておきたいと思う。

それは、君がきっと大切な人だから。



君がどういう人で、どういう悲しい気持ちになるのか、その気持ちが分かっていたのに、話しをして、お互い理解をしないといけないとわかっていたのにも関わらず、最後にそれが出来なかったこと。


お互いの内的要因を見つめ直して、互いに傷つける会話や空気になるのではなく、互いに自らさらけ出して、そして話したいと思う。
それが出来なければ、きっとお互いに、本当に大切な人ではなかったということだね。



ピラミッド


会社のトップになるということは、ピラミッドの頂点に立つことで、
そこを目指さなければそこには辿りつけないということに、深く考えずに頷いていた。
勝手ながらに、マズローの欲求を表したピラミッドだけを思いおこしていた感もある。


先日、ある方の言葉を読み、自分の中でのパラダイム転換を感じた。


経営形態を図に表すとそれは逆三角形であるということ。
よく考えれば当然のこと。
多くのお客さんがいて、その下に会社で働く、最もお客さんとの接点の近い従業員がいる。
それをマネジメントする人間がいて、その一番下で経営者が支える。
会社の理念や目的という支点がある。

会社はトップダウンではなく、多くの従業員が一番お客さんと近く、
その意見を現場からトップに落としていく主体的行動の伴う会社が強い。

マネジメントする人間はその逆三角形を支える者なので支点に近くなる。
より大きなものを支え、判断をしなければならない。
その支点に理念がある。
そう考えると経営者は支点とイコール、ないしは支点のすぐ上にいる。





パラダイム転換を感じる時というのは、妙に嬉しくなる。


辿りつくのは人



会社をはじめて数カ月、最近になって気付いたことがある。
「ディズニーランドのように、素晴らしい会社を目指す権利を自分は得ている」
誰に何と言われようが、そういうことを目指してやっていくことをできる権利は得ている。
そして、スタートは切ったものの、まだスタート地点に限りなく近い今こそが大切であると改めて思った。
ここでのリードを間違えば、そこから進めていく過程でいかなるマネジメントを行っても
目指すゴールが間違っていれば辿りつかない。


素晴らしいと言われる会社の共通点。


会社としての理念や目標がはっきりしていること。
それが単に掲げられたものでなく、会社全体でその理念を社員に浸透させ、全ての判断のもとになること。
相手のことを傾聴しコミュニケーションをとること。
提供するモノやサービスよりも先に「人」が最も大切であり、それは顧客だけでなく社員も含められること。
全ての行動が主体的であること。


これら全てのことが、会社という組織の全ての個人が理解、共有されて行動している。
辿りつくのは「人」であり、それが全ての財をなす。
人を越える財はない。


これまでずっと、素晴らしいと言われる会社の何が素晴らしいかという時、
「マーケティング」という言葉で片付けている自分がいた。
そして自分なりにマーケティングを少しずつ勉強していた。

大きな間違いだった。


本当に素晴らしいモノやサービスを提供している会社は、人による心を動かす感動を提供していて、
だからこそ、その会社の商品やサービスのValueを人々は買う。
素晴らしい会社の最も素晴らしいのは、会社のパーソナルブランディングを育成していくことが根幹にあり、それがモノやサービスとなって表現されて世に出ている。
その、ブランドビルディングが素晴らしい。
ブランドというと商品ブランドを思い浮かべるが、それを紐解いていくとパーソナルブランディングに・・・、そして「人」に回帰する。






とあるラジオのコメントが耳から離れない。

後から振り返ると、分岐点は受験や進学や就職ではなく、その間に会った人や出来事とかが凄いデッカイ分岐点となって、今そっちの方向に歩いていたりする・・・。




先日、自分にとって大切な人と少し久しぶりに会った。
嬉しくもあり、どこか凄く残念なところを覚える違和感もあった。
そして様々なことを改めて考えるようになり頭から離れない。


本当に大切なコトを自問自答する。


もう一度、会って自分の考えている大切なコトを話してみたいと思う。
出来る限り傾聴して、出来る限り理解をしようとして、
そして、その上で話しをしたいと思う。


会社の大切なコトを考え、会社として何をしなければならないか、それを分解していくと自分がどうあるべきかを考えることに辿りついた。
すると、その根本的な、自分がしなければならない大切なコトが自己回帰してきた。
「相互理解のコミュニケーション」



その人が自分にとって、大切な人であることを改めて思う。



自分の行動が正しいかは分からない。
但し、考えたうえで、主体性のある行動で後悔するはずはない。


だから、もう一度会おう。