2012年3月4日日曜日

目の前に座っていた君


席に着いたとたんに泣いていた。


どうして泣いているのか、その真意を未だに考えている。
悲しいから?寂しいから?怒りを思いだして?
おそらく、どれも正しい。


先日の電話では、怒り、大泣きし・・・そして、翌朝にメールがきたけれど、
俺からのメールに対しては一切の返事がない。
会って話しを聞きたいと来た電話では素っ気ない感情剥き出しだったにもかかわらず、
席に着いた瞬間に泣いていた。



俺に対する怒りだけではないよな。
正直でいない自分と、強く過ごせない自分がいるんだと思う。
俺に尋ねることは、その答えを聞くことによって自分が孤独感を感じ、辛くなって更に自分を振り切ろうとしている姿。
でも俺は、君が想像している生活をしてはいない。
多分、君が想定している回答が俺からかえってこない。


自分が大切だと思う人には、大切だと伝えようと決めている。
君は、俺にとって大切な人。
それで相手が自分とはコミュニケーションを取りたくないと言えばどうすることも出来ない。
ただ、大切だと思うことで大切なのは言葉でなくて、その行為。
そう信じているから、だから遠くからでも堂々と見るし、自分として出来ることはしている。



あの日結局、別れ際はいつものように目を合わせることなく去っていった。
その姿がずっと目に焼き付いている。
それから何百時間か経過した今でも、ずっと考えている。



あれから何度も自問自答した自分の答え。
別れたことが傷つけたのではなく、本当に傷つけたのは、きっと病気である人をどうにかしてやりたいというその主体的な行動だったね。



サーモンを頼んで、ふっと幸せそうに笑う、自分らしい自分が、後で孤独感を生むことが分かっていて悲しませたんだろうね。
積み重ねを、日々のちょっとした楽しいことの積み重ねが大切だと思っていたのに、俺がそういうことに気付くこともできず、出来なかったね。



俺が初めに言ったことを思い出す。
「ストレス溜めるならちゃんと話しなよ」っていうこと。
でも、俺が話さなかったことで、苦しめたね。それも謝らなければならないこと。
人はみなそうかもしれないけれど、マイナスなことは話したくない。
でも、それを話して理解し合えないと長く付き合っていけない。
俺は、誰とどういう形でつき合うとしてもそれを大切にしたいと改めて思う。


だから今でも、ちゃんと話したいと思っている。
今でも、でなくて今、最後に話しておきたいと思う。

それは、君がきっと大切な人だから。



君がどういう人で、どういう悲しい気持ちになるのか、その気持ちが分かっていたのに、話しをして、お互い理解をしないといけないとわかっていたのにも関わらず、最後にそれが出来なかったこと。


お互いの内的要因を見つめ直して、互いに傷つける会話や空気になるのではなく、互いに自らさらけ出して、そして話したいと思う。
それが出来なければ、きっとお互いに、本当に大切な人ではなかったということだね。



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