2012年12月18日火曜日

御礼の循環


ある仕事で都内にある文具店、カキモリと仕事をした。
カキモリを初めて知るきっかけとなった一枚の写真、初めて店に入った際に体感した店の雰囲気、
スタッフの対応などは体に染み込んだように覚えている。


時々ある、人の仕事に惚れた感覚。
この人たちと仕事をしたいと思った感覚。
この人たちの創る価値を一人でも多くの人に知ってもらいたいと考えた感覚。

そんな文具店。


「実は私、先日にカキモリ行ってきたよ~。ついでに御礼も言ってきた。」
そんな電話での会話があった。
自分のクライアントの更に先のクライアント。
そんな方が、「御礼を言いに・・・」という言葉は、自分のやりがいを感じ、本当に人に恵まれていると感謝をしてもしきれない。

やって良かったと、心から思える。


カキモリが、クライアントが、クライアントの先のクライアントが、皆それぞれがそれぞれに御礼を言う。
これまでに感じたことのないこの感覚は忘れたくない。



でも、自分が本当に伝えたい人は今、そばにはいない。
本当の御礼を、全てを懸けてしたいのに、自分にはその資格がない。

2012年12月17日月曜日

2012年12月17日


数カ月間を振り返ると、怒涛のように時間が過ぎた。
正直、切なさを感じることが多いのも分かっていて開くこのブログ。
それでも、途中では開かないと思っていたブログ。

新しく多くの人と出会い、仕事をした。
久々に仕事をした人もいる。


小山薫堂さんの本に書かれていた「アイデアには何が大切か」。
・情報に耳を傾ける好奇心
・その情報を選びぬくセンス
・その情報をどう加工するかという編集能力

それと、いい言葉に出会ったときに咀嚼するという言葉。
でも、薫堂さんはきっと、「人に目を向ける力」凄いんだと思う。
人に対する好奇心、センス、編集能力が企画になっているはずだ。


最近、素敵な言葉にまた出会った。
フランス料理の偉人、故フェルナン・ポワンさんの言葉。
「若者よ、故郷に帰れ。その町の市場に行き、その町の人のために料理を作りなさい。」



変な感覚ではあるが、今年「奈良と出会った。」
今までには無い感覚。
奈良と出会い、東京の素晴らしさを知った。
あらゆる情報交流が為され、いいものを倣い新しいものをクリエイトする。
ネットによって情報産業革命時代と云われているが、結局はその情報を扱う人が重要で、
その「人の行動」自体は絶対的にアナログある。


奈良に5回も足を運んだ2012年。
年始には全く想像もしなかったこと。しかし、どれも無駄ではなかった。
それはきっと、「この人たちと仕事をしたい。」と思える人と出会い、
その為に自らの東京での存在価値をどうやって高めるかを考えるきっかけとなった。


大きな仕事を一つ終え、思うこと。
ブログも含め継続をしよう。そして、体を本当に大切にしなければならない。


多くの才を持つプロに出会い、より多くのことを取り入れたいと感じた。
書くことも続けよう。


本当は話したい。俺が見ているものを、言えなくて辛い。
一番見せたい人がいるのに、もう見せれない。
自分でそれを選び、それを選ぶ以外に分からなかった。
だから書くしかない。


俺はもう、ずっと強がっていることを知っている。
ここを開いて、自分を美化して吐き出したくても吐き出せなかった。


leccaのなみだの日を、一体何回聞いたのか。
怒涛のように過ぎたのではなく、そうでしか自分がいれなかったことが分かっている。
そして、aiのハピネスを聞くのが辛い。


本当は、一緒に冬を過ごしたいと思っていたことも、
今も思っていることもずっとずっと我慢し続ける。
待っててくれないかもしれないけれど、感謝ではない自分の気持ちを伝えて、
君が望んでいるような人になりたい。
もう我慢して、ずっと言わないかもしれないけれど、変わらない気持ちがある。

2012年8月28日火曜日

方向性

家につき、クライアントからのメールを確認した。
クライアントが、更にその先へ行う、提案前のメール。
数時間かけて返事を考え、メールした。
朝に返ってきた返事には何も返すことが出来ず、期待と不安を胸に、ただただ電話を待つ。

そして改めて提案を行う結果を聞き、考える。

今思うのは、クライアントの社内事情による迷走。
そして、クライアントの「らしさ」とはどういうものか‥ということ。


もうひとつ、自分がクライアントと付き合ううえでの、「らしさ」とは何だろうか。

何か一つ間違えば、自分の「らしさ」を誤りそうな気がする。

2012年8月25日土曜日


久々に、朝から起きて一日中遊んだ。

日焼けなとで体をヒリヒリさせながら温泉に浸かりふと‥、また歳をとり、これからの一年を考える。

一人でも多くの人に出会い、何人か‥五名くらいの人に向けて、何かをしたいと思う。

でも、俺の一番目の前で、今日のような時間をくれたのは誰か知っている。

キミの一生懸命な姿を見ていた。

キミが俺だけに送った企画に、本当は心の底から感謝しているのに、伝えきれない。

最高の誕生日だった。

こんなところでしか言えずで、本当にごめんなさい。




2012年8月25日より

2012年8月24日金曜日

8月24日

いやがおうでも、なんとなく、何かを考える。仕事だとか、プライベートだとか、煙草を止めようとか‥。

昨夜見た、小山薫堂さんやスタッフの動画は、偶然だったんだろうか?


最近、久々に自分が吸い込まれるように魅了された、広瀬さんや柏井さん、高橋さんに出会ったのは、偶々だろうか?

自分の仕事の価値を考えているからこそ、そのアウトプットは迷い中であれ、きっと出会ったに違いない。
そう信じたい。

誰かに向けて仕事をする。
価値を伝える。
人と人、価値と価値を、人と価値を結う。
1つでも多く。

たくさん創る。

co-joy


34th

2012年7月31日火曜日

原点の仲間


7月27日、昔の仲間に会った。

数年に一度、結婚などで会う機会がある。
今回はアメリカで働いている2人が一時帰国したため集まった。

突然、発表があると言い、自分の店を持つことになったとみんなに発表した。
そして自らも会社を設立し、一年が経ったことを報告した。

名前の由来も全て、その頃の一つの思い出から。


集まったみんなは明るく、かけがえのない仲間。
そして、それぞれの道を歩んでいることを確認し、刺激を受ける。
大いに遊び、またそれぞれに仕事をする。


なかには、新聞紙の一面を飾るような倒産の憂き目に遭ったやつもいる。
それでも、前に進んでいる。


おそらく、この機会があったことは大きい。
声を高らかにして改めてみんなに報告した。

何度でも何度でもトライし続けようと思える。


そんな仲間と、その機会にありがとうを言いたい。



最後に、先日気になったフェイスブックの記事


素早さは失敗を招くが、失敗は取り返しがつく。取り返しがつかないのは遅れ。
Move Fast


動こう、継続しよう。シャカリキに・・・。


2012年6月4日月曜日

一年


会社設立から早や一年を迎えることとなる。


成長したと思える部分もあるが、決して満足できるものではない。
結局、ブログを頻繁に更新できなかったこのような状態も反省の一つ。


自分の頭にあるものをどこまで出してよいのか躊躇してしまう時がある。
しかし、やはり自分がここで発信しようとすることを止めれば、情報収集を怠ってしまう。
誰にも迷惑はかけない。しかしどこかで自分の成長が鈍化していると感じてしまう。


ここで書くことによって、自らのメディア力を鍛える為にやっているのではない。
ただただ自らの為に、こういった自分を省みることをするために書いている。


来年の6月を迎える時、更に成長を自らの実感したい。


改めて考える。
「共歓」という言葉を忘れずに仕事をしている。
クライアントもその先の消費者も、取引先も含めて、自らも一緒に仕事をして一つでも多くの歓びを創造していきたいと思っている。
その為には、単に「仕事をもらう」のではなく、実力をつけて「一緒に仕事がしたい」と思ってもらえるような存在になることを志している。それは、その仕事が請け負うものではなく「共創」となると信じている。
共創ためには、自らの領域に関してはプロフェッショナルにならなければならないといけない。
だからこそ、自らの領域の実践知を日々増やしていく。
そして、自分に足りない部分の最適なパートナーを探す。
パートナーとなる取引先に高いレベルを求めるためには、自らも成長していかなければならない。
その結果として共歓が生まれると信じている。
「共歓」するためには、止まることのできない成長が必要だと考えている。


2013年6月を迎える時、この一年よりも一つでも多くの「共歓」を創出したい。
一人でも多くの共に喜ぶクライアントや取引先と出会いたいと思う。



2012年5月5日土曜日

自己反省



久々にブログを書く。
まさか、こんなタイミングで書くとは思わなかった。
祝おうと思ってたものが無くなった。
自分の中で、今は一番大切な一日が、届けれなかった。


「ブログを書かなかった」ことにも自己反省する。
そして、「ブログを書かなかった」ことにもどこか後悔もする。
なぜならば、今までに書くことによって学んだことや、それが活かせたことがあること、
そして備忘録のようにもなることを痛感し、この一カ月を過ごし、
得たものの幾つかは忘れてしまっているのではないかと思う。


先日、数名の経営コンサルタントに会った。
セミナーがあることを知り、午前中に連絡をして初めて出席した。
経営コンサルタントが、コンサルタントとコンサルタント営業の違いを語る。
自己発信力の大切さを語る。
その継続性の大切さを語る。


帰ってふと、色々な経営コンサルタントの方のブログを覗いてみた。
デザイン性の観点からすると、どれも大したことなく、
内容も参考になることもあれば、他愛もないこともある。
ただ思ったのは、多くのコンサルタントが自己発信としてブログを書いている。
統計的には分からないが、おそらくコンサルタント業につく人の割合からすると、
かなり高い割合でブログを書いているのではないかと感じた。
そして共通するのは、その継続性。
継続している方のほうが、実力を感じるのは自分の勘違いだろうか・・・。
しかし、実力の信憑性を感じた。


書くということは、情報ネタを仕入れなければならない。
少なくとも、自分の思ったことを顧みたりする機会を得る。
仕事の情報を発信するのであれば、常にアンテナを張り巡らさなければならない。
生活に情報を得るカラーバス効果のようなものが生まれるんだと、
この一カ月、実際の自分の生活でもそう感じることがあった。


一つの決意がある。
このブログを止めたなら、個人的なものでなく、
企業としてのブログを必ず始める。
必ず。



この一カ月ちょっとが勝負だと、自分に何度も言い聞かせてやってきた。
理解してほしくても、理解されないこともある。
日々、山あり谷ありで、前向きに考えないと止まりそうになる。
自分にとっては、ブログは立ち止まらないための一つの自分への鞭かもしれない。


思い出すものがある。
起き上がり小法師。

結構勇気づけられたりする。
辛いけど、悔しいけれど全ては自分が強くいなければならない。

さて、頑張ろう。


2012年4月3日火曜日

4月の始まり


今年は例年以上に桜の開花を気にしていたにも関わらず、実は東京でも開花宣言されたことを知らずにいた。3月31日、強風の日。
まさかそんな日に、桜の開花宣言がされるとは・・・。

今年は花見に行こう。そう、自分の中で決めている。


以前に偶然見ていたNHKで「メディア力」を語った番組を見て以来、自分自身のメディア力、あるいは仕事やプライベートでのメディア力を感じる人を思い浮かべることが多い。
情報革命の真っ只中にある時代。マス広告以外のメディア力を考えることが多い。
TwitterとFacebook、それら以外にも多くのソーシャルメディアが語られている。
Webというものに全く疎い自分だからこそ、こうやってブログを始めてみたりもした。
そして最近は、Wev関連を中心としてセミナーなどに顔を出している。


4月2日は多くの会社で新年度を迎える。
会計年度の始まりがいつであれ、今日は多くの新入社員がスタートする日である。
自分の会社に新入社員を迎えるということのない現状はどことなく寂しく、自分のなかで心機一転したいものもあって、ある交流会に出てきた。
新年度の始まりに、それが自分の会社の新入社員でなくとも、新しい出会いが欲しかったのだと思う。


本で情報を仕入れ、学んだことをアウトプットして知識にすることも楽しい。
セミナーなどで学ぶことも、そこで新しく名刺交換をすることも楽しい。
但し、セミナーなどは各々が学びに来ていることが中心となるので、「交流」という時間が大きくあるわけでもない。決して、それがメインではない。
そんな中、今日の交流会は非常に出会いが多かった。
実は、行くか行かないかを最後まで迷っていたのだが、やはり行って良かった。
と共に、もっと知識をつけたいと思うようになった。
今の自分の本業ではない。但し、必ずやそこに新しい人脈であり知識の蓄積がある。

まだまだ学ばなければならない多くのことが見えた。
学びたい多くのことに出会った。
そして、新しい出会いがあった。


自分なりの新年度初日としてはいい出だしである。


2012年4月1日日曜日

フラっと散歩



3月最後の日、一緒に出かけた。
前日から風が強く、横なぐりの雨もあって外出を避けたくなるような日だったけれど、
少し雨もおさまった夕方前から一緒に出かけた。


渋谷にあるDLの広告を見に行った。
地下鉄から地上に出た時は、やはり天候のせいもあって休日にもかかわらず人が少ないと思っていたけれど、目的の場所につくと、そこには数面にわたって貼り出された構内ポスターに人が群がり、一様に携帯カメラを向けている。


警備員まで配置されていて、想像以上だった。

























ディズニーというブランド力だけではない。これだけの人が集まってそのポスターを体感し、皆がツイッターやブログにアップをする。


最近の都内には電子広告がもの凄い勢いで増えている。
少し気にして見てはいるものの、そこまで目を惹かれたり、このように体感を感じるものはなかった。


今回のように、ぬいぐるみの生地をそのまま使うことは、電子広告には絶対に出来ない。

久々にみた、体感できる広告に少し感動した。
そして、それらが発するメディア力の力強さを改めて思い知った。


きっと、ディズニーのことを思いながら嫌なことも考えてたよね。
俺、いつか必ず、連れて行けるようになりたいとは思ってる。
でも今はまだ、正直いつかがわかりもしない。
行こうって俺から言えた時、それは堂々と俺が、今の自分とは違うと言える時。
だからその時は、悲しまないで過ごして欲しい。

2012年3月30日金曜日

もっと行動力を

また、一週間が終わる。
きっとこの週末は、他の会社では通常の一週間とは異なり、来週からは新入社員などが入ったりする、
大きな節目の週。


この一週間、ドタバタとしていた・・・・と思ったけれど、クライアントに提案した日がない。
そう考えると、この一週間は自分は何をしていたのかと反省する。
いい意味で自分を反省する時間をもったりすることはできているけれど、以前に比べてスピード感が非常に低下しているように思う。
案件に対して「頭の回転率」が遅くなっていた。
忙しい時は、電車に乗っている時や歩いている時、あらゆる時間で色々なアイデアを考え、もっとスピードをもって行動していた。

考えるだけでは行動が伴わなければ意味が無い。

シャカリキに、提案する。 その行動力が足りなかったと反省。



行動が無ければ、お金を生まない。




もう一度、自分の尻を叩き直そう。

選択の間に反省

7つの習慣にあった反応性と主体性についてふと思い出した。


今年になって、自分からの「主体的な行動」を意識してやっているが、本当にそれが正しいことなのかどうか、自ら動くことが主体性ある行動なのか、ということに何となく不安になってその言葉を改めて読み返してみた。

主体性とはどのような状況に置かれても、自分の価値観に基づき反応を選択すること。とある。
逆に、反応性とは、状況や気分によって、反応性を決めること。


そしてコヴィーは、
主体性のある人は、刺激と反応の間に自分の価値観に基づき反応を選択する間がある、と言っている。


正直に、自分を話し、相手を聞いて理解しようとしているけれど、なかなか難しいことがある。
「仕方ない」と諦めてしまいそうな時がある。


自分ではそれが主体性をもった行動だと思っていたことが、「自分の価値観に基づき反応を選択する間」を持って聴いた話に対して応えていたかと顧みると、もう一度考え直さなければならない自分がいる。



2012年3月25日日曜日

寝て過ごした


昨夜はハンバーグを作ろうと思いながら、急遽カレーを作り、食べる前にスーパー銭湯に行った。
合計で3回ほどサウナに入る。


サウナに入りながら新陳代謝されている感じが好きだ。
体を洗ってからお風呂に入る。
その後にサウナに何度か入ってもう一度体を洗う。
2回目に体を洗っている時に、開いた毛穴から汚れをおとしている感じが好き。
そしてまた、ゆっくりとお風呂につかる。

どこかで、汚れや疲れが溜まっているのをおとしているだけでなく、
精神的な部分での何かもおとし、清浄されている気分になる。
それは、ストレス解消というよりは、自分を一新させる感じ。


お風呂からあがり、すぐに水分を摂りたくなる。
それを我慢して一杯目に飲むビールは格別にうまい。


昨日は家に帰るまで我慢して、帰ってすぐにビールを飲みながらカレーを用意した。
昼に起き、カレーをまた食べて少ししたら寝てしまった。
まさに寝て過ごした一日。



店に来てコーヒーを飲みながらこれを書き、本を読んで帰る。


いつもの、夜の時間帯にいるスタッフがいて、新聞を読みふけっているおじさんがいる。
今日は、最近慣れてきたいつものスタッフが、席に着く前に「コーヒーでいいですか?」とメニューを渡さずに注文を確認してきた。
そんな自分も、いつもの席が空いていたので、その席に座っている。


あまりにも寝て過ごした一日だったので、せめてその寝て過ごしたということを「意識」しておこうと、
これを書いてみた。


しかしまぁ、我ながらメディア力のないブログである。

2012年3月23日金曜日

JOB


自分にとって、それは仕事ではなかった。

自分は今の仕事が好き。
誰かに喜んでもらおうと考える。

自分は、決して「仕える事」と感じていないことを小山薫堂さんの言葉で知った。
今いる業界でその幅を拡げたいし、それは人脈や仕事の内容について多くのことを学び、吸収したいと思う。それに、小山さんと同じように、日々の生活で何か楽しいことを考える自分がいて「私事」と感じれる部分もある。
そこに終わることない自分の成長の「志事」なんだろう。



仕事とするか、志事とするか。


自分は後者を選ぶ。
















共通していて嬉しかったことが一つ。

まずは身近な人を喜ばせてみることを考えるという誕生日の話。

上司の誕生日を喜ばすことを考えなさいと新人に言った、ちょっと昔のことを思い出した。

そんな昔の話は、今の自分には大きく辛い部分もある。

今の自分には一年で一番大切な誕生日が5月にある。

自分がその人を祝うという資格がないかもしれないし、その行為自体が悲しませることなのかもしれない。

もし祝ったとしても、その先にはそれ以外でとても辛かったり、寂しい想いだったり、自分に嘘をつくかもしれない。

今はまったく、自分の抱える問題の先が見えないし見えてきそうな気配もない。

でも必ず、来年の5月には、面と向かって言える自分になりたい。

出会った年に祝った誕生日よりも大切な日にしたいと心から思っている。

俺にとっての一番の、一番大切な志事。




今、二つ隣の席に、いつものおじさんがやってきた。
きっと毎日来ているんだと思う。
毎回、いくつもの新聞を束ねてもってきて、数時間にわたって読んでいる。
そんなおじさんを見るのも、いつもの生活に戻ったと感じるひとつだ。




2012年3月19日月曜日

突然

家のチャイムがなった。


フラフラの状態で、突然現れた。39.3度。家の前で崩れ落ちた姿。


その後自分の対応が正しかったのかは分からない。


全ての人を大切にする。聴く耳を持ち、理解する。



本当に可能なのか・・・。


誰かを守ると誰かを傷つける。



自分が嫌になる。



2012年3月17日土曜日

スターバックス

やっと、Howard Beharの本を読み終えた。


過去を思い出しながらその感想は、
彼の云う「人」を通じたスターバックスを、ある一店舗のチャックとそのスタッフを通じて、
自分自身も体感していたということが全て。




初めての英語での注文はホットチョコレートを頼んだのに、ホットコーヒーが出てきた苦いスタート。
英語を話せない自分が、「Can I talk to you?」と見知らぬお客に声をかけ、少しでも英語を話そうとトライしていた場所。
友達とくだらない話を何時間もして過ごした場所。
ゲームで負けて、20名くらいの仲間に奢らされたりもした。
親友の彼女が妊娠したことを知らされた場所。
プレゼンテーションの練習で、店の人に聞いてもらったり時間を計ってもらったりもした。
商品ができるあがった時に、自分の名前で呼ばれて「Yes」と絶対に親に怒られないであろう、大きなハッキリとした返事をしていた。
挨拶とちょっとした会話だけど、毎日のように通った。 





彼のいうように、“雑音”はなかった。


彼がいうように、スターバックスでの体感を求めて通っていた。


まさに自分は、“体感を提供する”スターバックスへ通う客だった。




2012年3月16日金曜日

昇るのか?

展示会に行ってきた。


昔の同僚や、数年前にお世話になった元クライアントの方に会った。
最後の帰り際にも、別の元クライアントの方と偶然にも会い話をしながら帰った。
「いつでも遊びに来な。」という言葉は嬉しく、いつか一緒に仕事をしたいと思う。
過去のクライアントと仕事をするためだけであれば、前の会社にいればよかった。
もっと大きく成長したいと思って会社を辞めた。
だから、今、仕事をくださいということをあまりしたくはない。
但し、人脈は切るものではない。
環境が変わるごとに人脈を切ってしまえば、積み重ねていく人生はない。
今日、こうやって再開するかもしれないと思っていた人ではなかったので、予想だにしなかった方々との再会は嬉しかった。


自分で思い通りにいくかは分からない、但し、今思い描いている少し先までのシグモイドカーブはある。
仕事のスキルももちろんではあるが、この人脈という要素がなければ何も先に進まない。


自分のなかで、今週少し、そのカーブが昇り始めた感覚がある。
たまたまなのかは分からない。
きっと4月が終わるころまでに随分と結果が見えてくる。


さて、本当に昇りはじめるだろうか・・・・?


希望と不安の狭間にいるけれど、頑張って昇ろうと改めて思う。
そして、それは誰かが昇らせてくれはせず、自分で昇るしかない。

電車に揺られて


時折、まだまだ寒くなる夜があったりもするけれど、温かくなってきた。

今日は随分と電車に揺られる。
だから、ちょっと書いてみた。

4月に入るとしばらくの間、新入社員なんだと明らかに分かる人を散見し、電車に乗るだけでも少し新鮮な気持ちになることがある。
年に2回、正月と4月の始まりは、気持ちのスイッチが新しくなる。




昨夜、NHKの番組で、仕事をくれたお客さんに手紙を書く女性がいた。
字の体裁が綺麗というのもあるが、それでも気持ちは伝わるだろうと感じた。


突然、今あるお客さんに手紙を書くのも変だし照れくささもある。
それでも、気持ちを込めて綴った手紙を、何かをきっかけに数通送ってみようと思う。




寝る前に、たまたま見つけた青山フラワーマーケットのネット記事を読んだ。
個人的に花を購入することはほとんどなく、店舗の前を通ることはあるけれど、
店内に入ったことはほとんどない。
おしゃれ感があって、いかにも東京という感じの花屋だとしか思っていなかった。



“Living With Flowers Everyday”というのが井上社長が掲げた理念。
そこに、クリエイティビティな仕事をするという考えをあわせ、
通常の花屋とは違った戦略をとった。
「個人需要で且つ荷非常生活で需要があるようなお花」にターゲットを絞りこんでの店舗展開。
冠婚葬祭の需要ではなく、日常生活。
そこで、仕入れも通常は開花前の花を仕入れて販売するのだが、同社では開花してそこまで日持ちしないものを安く仕入れて安く販売する。
廃棄率を考慮して利益を取るのでなく、回転率を高めた。
それは理念に基づく。
そして、頻繁に変える花のある生活のクリエイティブし、消費者に提供している。
また、井上社長の現場主義にも共感した。
先日ブログに書いたことと全く同様に、逆ピラミッドであることを述べていた。
お客が一番上で一番大きく、社長が支点となっている。
そしてバイトが7割にもかかわらず、クリエイティブを考える主体性ある現場をもっている。
どことなく、ディズニーと重ねて読む自分がいた。



おしゃれに見せて、高いんだろうと本質を見ずして通過していた店舗。



一度、ちゃんと立ち寄って、購入してみようと思う。

2012年3月15日木曜日

頭に残って・・・

離れない。


「思いやりをもたないことは、思いやることと同じくらい強い影響力がある。」
スターバックスのHoward Beharの言葉。


そして続く・・・、
人に対しての思いやりをかけたら自分も思いやられるとはかぎらない。
必ず見返りがあるわけではない。
だが、思いやりの心がない人が、思いやりのある組織をつくることはとうていできない。


対話すること、傾聴することと、相手が話せる環境を創りだすことが語られている。



無我無心を辞書でひくと、我欲やよこしまな心のない純粋な心とあるが、彼は先入観なしに思いやりをもって耳を傾けることが必要であるとも言っている。



そして、全ての人にである。




何度も何度も自分を思い返すと、独善的だった部分が浮かんでくる。




相手のいうこと、望んでいること



顧客満足とは、顧客が感じた価値から事前期待値を引いたもの。
お客のニーズに対してどれだけ応えれているか、ではない。


昔、上司に言われたり、自分でも+αの提案をと頭に入れていたにもかかわらず、正直、お客のニーズに対してどれだけ応えられているか、という100点満点のうち何点くらい相手は満足してもらえているか・・・という計算式で顧客満足というものを理解していた。


カスタマー・マイオピアという言葉を知った。
今までで失敗した経験のなかで、お客さんが本当に求めていたものは異なるにも関わらず、その目の前にあることを全て鵜呑みにしてしまった経験があった。




今までに好きになった店や取引先のことを思い返す。
思い返すと、そこには求めるモノやサービスだけでなく、人柄やそれ以外の何か惹きつけられた体感がある。「あそこは安かったから」というだけものはない。



よくしてくれたクライアントのことを思い出し、自分が何を提供できたかを考える。
そして、今後何を提供できるのか。


自分の会社を俯瞰し、今はまだクライアントの満足させてきれていないこと、今後変えていかなければならないことを考える。





昨日、ホワイトデーに渡した。















今日、すごく嬉しかったというメールが来た。
バレンタインをもらったわけではないので、そのお返しではない。
ただ、ホワイトデーにふと思い出して渡した。



昔、仕事であまりにも疲れているときに席につくと、小さなメモと一緒に野菜ジュースが置かれていたことが何度かあった。その心くばりがあまりにも嬉しかった。



伝えてはいないけど、ホワイトデーをきっかけとして、今回はそのお返しと感謝の御礼です。


そして、会えたことがとても嬉しかった。
お返しと感謝も忘れていないけれど、会いたかった自分がいたことが本音です。


2012年3月14日水曜日

いい天気

朝からテレビで静岡県の河津桜が映し出されていた。
いつもは2月下旬が満開なのに、今年は寒さの影響で遅い開花になったらしい。
レポーターの持つ温度計は0度を示しているというのに、後ろには満開の桜が映し出されている。
初めの一本の桜から数千本の桜になったという。


寝る前に思いついたケーキやがあり、HPを見てみると水曜日が休日だった。
落胆して寝たものの、もしかすると、ホワイトデーでやっているかもしれないという一縷の望みにかけ、
11時過ぎに電話してみた。
なんと、今日はホワイトデーで特別にやっているという。
そして、お目当てのケーキも残り8個だけあるという。


思わず取り置きをしてもらった。
昨年、初めて行った時にはその人気の高さを甘くみていて、行った時にはケーキが一つもなかった。
14時くらいだったか・・・、既に予約の人が取りにくる為だけに開いている状態だった。


そんな、ちょっと思い出のあるケーキ屋。


打ち合わせに向かう途中の駅の宝くじ売り場前で「本日、大安吉日」というフラッグが掲げられていた。
少し、そんなフラッグに納得しながら歩き電車に揺られながら書いてみた。


晴れ晴れとした天気とともに、気分もいい。

反省の空白な日


仕事において、グッと何かを推し進めた感のない一日。
何かの仕事に追われていたわけでもないのに、何も見つけようともしなかった。
要はダレていた。


昨日の経験知からすると、それは意識のない日だったということになる。


無意識な日、だった。



書いていて思い出した、昨日もらったメールの写真。























意識して街を見るようにしてみな。
普段歩いている街や通勤途中、その広告などを意識して見てみよう。
自分の目についた何でもいいから写真を撮ってみよう。


そんなことを、約2年前の4月に、新入社員に話した。


昨日、その子から「今年もありました。懐かしい。」というメールがきた。
「意識しよう」と言ってから、日々“意識する”生活を重ねてくれた。
彼女は今でもそれを続けている。



「スタート時点だったね」と返事をし、この自販機の写真のことを俺自身も覚えているということは、
こういう写真を撮りました、という報告を受けた時に、自分自身もしっかりと意識をもって聞いていた
ということだね、と話した。




そんなことを思い出すと、意識のない「空白」の一日、無意識に過ごした一日にさらに反省。




だから・・・ブログで初めてのことをしてみた。
写真の添付。
反省する最後に、少し意識をもって、新しいことをしてみようと思い、
小さな小さな、自分の反省へあがいてみた姿・・・・。






これを書く前に仕事のメールを一通送ったら、こんな時間に仕事していることにビックリしたらしく、
「まじで!」という返事がきた。
上司が帰らず、まだカラオケらしい。
こっちが「まじで!」ですと言い返しておいた。
そんな相手は、大切で大好きな、本当にお世話になっているクライアント担当者。




3月14日、ホワイトデーだ。
明日、近くにまで行く。。
もらってないけれど・・・何か渡したい自分がいる。



起きて考えよう。

2012年3月12日月曜日

もっともっと意識を


行動観察というセミナーで、エスノグラフィという言葉を初めて知った。


リサーチ手法の一つで、元々は人類学で、異なる民族や人種、文化を持つ人々の行動様式を解析し、理解していくものらしい。
そこで必要なのが「行動観察」ということ。


例えば、「トイレに行った後に手を洗いますか?」とアンケートを行った際、9割以上の人が手を挙げるが、実際にトイレで手を洗う人は、特に男性ではその割合が極端に減る。
ある朝食の調査で母親に朝食について聞いたところ「子供がいるので、朝食はしっかりと、栄養のあるもので数品を食べさせるようにしている。例えば、パンとスクランブルエッグとサラダや果物と牛乳。」という答えがあった。しかし実際に観察してみると、生活では子供や自らの身支度などで時間がなく、パンと牛乳といったようなモノしか出ていなかったりする。
アンケートに回答する際に虚偽を行っているのでなく、“そうしたほうがいい”“そうであることが理想”というフレームが存在してしまう。


話の冒頭、「人間の9割は無意識に行っている為、言語化できない」という話があった。
意識というのは、自分がそうしている、そう考えているということを、もう一つ別の意識が顧みることで意識付けがなされる。


起きてから自分が生活している間に意識はある。但し、普段歩くことに意識をしていないし、信号が赤から青に変わって歩くことにも意識はない。日頃の殆どの行動で別の意識を持っていることはない。



潜在意識と顕在意識。
少し調べてみると、潜在意識と顕在意識が一致したときに、自分の創造があることが記されている。


仕事のうえで、「意識すること」を意識していた部分はあった。



仕事で多くのことに行き詰ることがある。
一日の行動をもっともっと「意識づけ」してみよう。

意識していなかった・・・と気付ける部分が一つでも二つでも見つけれるかもしれない。



ビジネスで応用され始めている行動観察やエスノグラフィということに出会い、
今思うのは自分自身の行動を客観的に見直してみよう・・・ということ。




それと、
セミナーに出て初めて、全く声をかける必要がなかったのにもかかわらず、声をかけ、名刺交換をした。特に今後のビジネスで何か繋がることはない可能性が高い。
それでも、また一人、新しい人と出会った。
顧客でなくとも、もしかすると共創して顧客を創るパートナー企業として繋がるかもしれない。
こういう継続が、いつかどこかで、誰かと繋がると信じている。
繋がる可能性は低いが、新しく、何かで繋がる可能性を創りはした。
それがどことなく嬉しくセミナーから帰った。
これも、“顧客を創造する”というスタートの一つに違いない。



自分の責任


毎日、様々なことがある。
充実を感じる日もあれば、悲しかったり憤りを感じたり、楽しかったり、嬉しかったり。
解決しないことに頭を悩ませたり。
自戒の念を抱くこともある。
日々を綴ると、そんな刺激のある毎日があることを知る。


でも、最後には前を向かなければならないし、次に足を踏み出さなければならないと思い、一日が終わり、次の日を始める。


ちょっとしたメールや言葉で色々な人からサポートされていると感じる。



「自分のキャリアや成功は、自分で責任を持たなければならない。」


その通りだ。


あくまでも、そこには内的要因がある。今年の目標に還る。
全ては自分にある。周りではない。
今年になって「仕方ない」という言葉を使わないと注意しているが本当に難しい。

特別な日


テレビを見なくとも、3月11日を迎えることは自分にも刻み込まれているし、その日を忘れることはない。

幸いにも、直接の身内や友人で大きな被害を受けたことはなかった。
それでもあの日を忘れることもない。
その後の情報を追いかけていた。
Youtubeにアップされた多くの動画を見た。


3月11日を区切りにして、その後の一年にあったことを思い出す。


昔、福島県の方から桃園についての話を聞く機会があった。
その方の桃に対する愛情が忘れられない。
福島県産の桃を全国で販売する立場の方ではあったけれども、最高の桃を届け、食べてほしいというその熱い情熱を感じ、食い入るように話しを聞き、桃園を想像していた。


地震があって暫くして、原発による農業への被害が大きく報道され始めた時、真っ先にその方を思い出した。



震災の日を思い出すことによって、そこから復興へ向けて歩み続ける人々を見ることによって、自分の悩んでいることがあまりにも小さなことだと思い知る。
自分が今抱えてる悩みなどは、あまりにも小さなことであるということを考え、自分自身がその日を迎えることによって鼓舞される、そんな特別な日でもある。



いつか、あの日聞きながら頭で思い描いていた、目の前に長く続く、沢山の実をつけた桃の木を見に行こう。あの方が愛情を込めて全国の方に食べてもらいたいと語っていた桃を食べに行こう。
きっと、そこに強く復興を感じ、とても美味しいものに違いない。


2012年3月11日日曜日

会う


髪を切った。
いつものように話しながら、プライベートなことや仕事のことを話す。
俺を担当している人は30を迎える今年には、どうしても恋愛をしたくて仕方ないらしく、
巷でいう婚活をしているらしい。
環境を変えようと年内で辞めることを考えていて、既に店長に話したということも聞いた。
どことなく寂しかった。



飲んでいると電話がなり、明らかに今から会おうという雰囲気が伝わってくる。
そして会うことにした。
もう既に23時を越えていてほろ酔いでちゃんと話が出来ない自分がいたので、
飲みに行きたいと言われたけれど映画を見に行くことにした。
そして家に帰って寝た。


自分で辛い思いをさせたことがずっと胸の奥にあるし、
もう辛い思いをしたくないと言って泣いている人が目の前にいた。


特に何かをしてやれるわけでもない。
何をしてあげることが一番いいのか、分かっているようで出来ない自分もいる。
ヒシヒシと想いが伝わってきて、最もな言葉をかけてあげればいいのに、
やはりそこに踏み切ることが出来ない自分もいる。


心の琴線に触れて楽しそうにしている姿が見えもするし、
でもそれを切ってしまい、辛い思いをさせてしまいそうな自分もいる。


いい歳になって、人ひとりすら大切に出来ない自分にやきもきする。



2012年3月10日土曜日

休日

いつもと変わらない週末なのに、起きてから落ち着かない。

理由は分かっている、来る予定のない一通のメールを待っている。



こんな感じの気分になるだろうと、前もって気分転換に髪を切り行こうと予約しておいた。
月1程度でいつも行く美容院は、自分のはけ口のようなもので、色々なことを話す。
仕事であったり、人間関係であったり、旅行や楽しい話しであったり。
その美容院のスタッフと、少しアンティーク調の雰囲気が大好きで、こじんまりとした空間の中で過ごす一時間程度のその時間で心身共に落ち着く。
今の家に引っ越ししてきて、10軒程度の美容院に行き、「ここのスタッフがいい」と見つけた場所。


ストレスやモヤモヤとしている自分がいる時、そういう自分のバランスをとるための方法の一つ。



ゆっくりと過ごそう。

What's Up? How you doing?


本屋に立ち寄って、「スターバックスを世界一にするために守り続けてきた大切な原則」という本が目に入り、思わず手にとって購入した。


まだ、内容は何も知らない。




本を手にとって、ふと、懐かしく思い出した。


チャックというスタッフがいて、ほぼ毎日スターバックスに通っていた時期があった。
一日に2回以上いくことも少なくなく、ほぼ毎回グランデのモカを頼む。
もう、10年以上前になる。


オーダーしたり、商品を受け取る時に挨拶をする。
別に他の話を多くするわけでもない。
ただ、その笑顔だったり周りのスタッフとも毎日のように交わす挨拶だけで、他の店舗にはない充実感があった。



チャック以外のスタッフも大好きだった。
サッカー好きで、「俺はイングランドのサッカーが一番好きだ。フィールドは綺麗だし、シャツを出さないマナーも最高だ」なんて語る奴がいたり、ゲイでちょっと気に入られて、お釣りを渡す時は丁寧に両手で手を握りながら渡す奴がいたり。毎回、グランデを頼むとベンティに勝手にサイズアップをしてくれる奴がいたり。チャックを中心に全員が明るく本当にホッとする店だった。
周りには数件のスターバックスがあり、一番近い店ではなかったのにも関わらず、
チャックのいる店に通っていた。
彼がいる日もいない日も。彼のシフトなんて知らなかった。
最高のスタッフが揃っていて、別のスタッフからは「いくつかの店舗で働いたけど、ここの店舗は最高だ!」と自慢げに働いていた言葉をよく覚えている。



最後に会える日だけ、チャックのシフトを確認した。
そして、今日来るのが最後であることを報告した。
最初で最後、チャックが「俺のおごり」と言っておごってくれた。
その日いたスタッフ全員とそれぞれに写真を撮って、サヨナラを言った。


翌朝、チャックのいない店でいつものようにモカをオーダーし、朝のシフトで入っていたスタッフと挨拶をして空港へ向かった。



自分にとって、あれ以上に温かく感じた店を知らない。



そんな昔のことを懐かしく思い出しながらきっと読むんだと思う。
あの空間に、あのスタッフたちが醸し出す雰囲気が全てだった。
「人」以上に惹かれたことを思い出せない。



きっともう居ないんだろうけど、チャックは元気かなぁ。
他のスタッフの顔は覚えているのに、名前が思い出せない。
チャックの彼女は元気かなぁ。ペットの犬は元気かなぁ。


あの温かさが懐かしい。




2012年3月9日金曜日

どうして来たの?


そう聞くと、「直感で来た」と答えた。

一昨日から何か大きく変わることはないのに、また会った。


でも実は変わったことがある。
明らかに違う。一週間前には想像出来なかったこと。
目の前で話すその口調とその表情。




寝不足だけど、清々しい気分の朝。
でもどこか寂しさも感じる。嬉しさもあるし、歯がゆさもある。
様々な感情が交差して難しい。

でも、昨年の夏とは違う。
激しく大きな感情ではなく、ゆっくりと広い感じでいる自分がいる。




成長は右肩上がり。
でも、拡大してみると山あり谷あり。



仕事だけじゃない。人としての成長もそういうものか。
今、自分の曲線を拡大してみるとどっちにいるのかは分からない。


数年後なのか数十年後なのか、振り返った時にどこにいたか気付くんだろう。


ただ、今だけを見ると、いい一日だった。
寂しさもあるけれど、嬉しさのない一日よりもよっぽどいい。
嬉しさのあった一日だったので、その分寂しさを感じているだけ。
そうであることは十分分かっている。


直感で来てくれたことに、ありがとう。


2012年3月8日木曜日

初めて見た姿


お世話になっている人がいる。
最近は、仕事場でもなかなか会えずなくなっている。
もうすぐ手術を控え、頻繁に通院することが多くなり始めた。


もう、初めて会ってから10年が経つ。
仕事でもプライベートでもお世話になった。
自分の社会人としての基礎はこの人にあると言っても過言ではない。
社長とはいえ、世間一般に言う何十億も稼ぐほどの“出来る”会社経営を行う人ではない。
それでも、昔からの付き合い長い方、それはお客さんであったり、もう引退されたかたが、
社長の体調や会社を心配し、何かあったらと手伝うよと連絡がある。
昔から付き合いが長いから・・というビジネスではなく、上席は上席で、現場は現場の人間で上手くやっていきましょう、それを継続しましょうという声を聞くことができる素晴らしい関係。
女性ではあるもののいつも気丈に振る舞い、情のある方。
時に厳しく、時に優しい。


そんな社長と久々に仕事場で会った。
ふと話をしていると、手術が怖いと言い始めた。
初めての手術ではないが、数十年ぶりに受ける手術、通院し始めて、昔との体力の違いを身体自身が感じ始めて発した言葉のようだった。


月末に手術する。
その後も暫くはリハビリ生活が続く。
2~3カ月を予定しているものの、きっと半年から一年くらいかかると見込んでいる。


「少し怖い」と垣間見えたその姿が、自分にとってショックだったのかもしれない。
ただ、「何かをしよう」と思う。
仕事なのか、元気づけることなのか、それは分からない。
ただただこの人から学んだ大切なことを、少しずつ恩返ししていきたい。
学び、お世話になる立場から、少しそういうフェーズに入ったのだと感じる。




あの人が元気になるために心強くなる企画を考えよう。



どうして上回る

不思議な日だった。
困難でなかなか道が見えなかった方との仕事の道筋が見えてきそうになったり、
カフェで待っている間に、暫く連絡の途絶えていた方からメールがきたり、
会おうと思っていた人と、想像もしていなかった場所で会ったりと。



来ないということを確認して帰ろうとしていたのに、いきなりかけてきた電話で、
どうして自分の想像を越えた場所にいる?


でも、しっかりと話せてよかった。


自分の、変わらない複雑な状況や、仕事などの色々な考え、きっとありのままに話した。
情けない回答なんだけれど、ありのままの状況。
CMで流れている「男でごめんなさい」っていう感じなのかな。
でも、伝わって良かった。

これからも、大切な人は堂々と見ておこうと思う。



自分にとっては、仕事も同じなんだろう。
今日、会った方に聞かれた。
「最近はいつもそうやって営業活動しているんですか?」と聞かれ、「一緒に仕事をしたいからです」と答えた。メールが来た方にしてもそう。今はまだ仕事をするのに障害があるけれど、いつかまた、一緒に仕事をしたいと思っているので、ずっとメールしたりしてコンタクトをとっていた。

会社を退職し、会社を設立した。単なる法人化しただけで、個人事業とさして変わらない。
前職と比べると、会社としての信用も実績も殆ど皆無に近い。
信用を積み重ね、それを継続してしか顧客を創造できない。
但し、これまでで一番、顧客を創造していると感じれる。
顧客との関係を築くために努力は必然的に生じ、それは成長に必ず繋がると信じている。


友人などから転職活動での面接の話を聞いていて思うことがある。
今、これまでどこかに所属していた時とは全く異なる感覚がある。


まだ仕事として成立していない方と会う時、毎回が自分にとって、それが面接なんだということ。
転職活動をするよりも、多く、長い時間をかけて面接を受けているんだということ。
自分であり、会社であるそのValueを伝え、示さなければならない。
相手に自分の存在にValueのあるものにならなければならない。



昔、後輩や取引先に言われたことがある。
仕事している姿で、お客さんと話している時が一番楽しそう、だと。



大切な人に対しても、仕事での単なる顧客としてでなく、大切に付き合う顧客に対しても、
その人の期待を上回る提案ができるように継続していこう。



昨日、自分の身近にいる、大切な人にしっかりと話し伝えたこと。
そういう機会だけでなく、話をしっかりと聞いてくれたその姿にも、改めて感謝。



色々と複雑な状況は変わらない。
でも、ひとつひとつ大切にしよう。
本当に大切なものは、比べるものでなく、きっとどれも100%。



2012年3月6日火曜日

いつものカフェ

やっと着いた。
やはり見当たらなかった。


待ってる時間。



いつも待たせたり、驚かされたり、そんなことをしてくれた人。
置いてきぼりにしてしまったこともある。
そうやって思い返すと、少ない期間に沢山の思い出がある人。


人に喜んでもらったり、驚かしたりすることが好きだけど、
思い返すと、人生で一番、そうやってしてもらったことが多いかもしれない。




先日、いい話だなぁと思ったことを思い出す。

「気くばり」と「心くばり」の違い。

その時、その話で思い浮かべたのは仕事しかなかった。


自分がその人に対して素晴らしいと思ったことは、その心くばりだったんだと、今まさに思う。

ずっと、優しさであったりひた向きさであったりという言葉しか思い浮かばなかった。
でも、どことなくそういう言葉でない素晴らしいものがあり適語ではないと感じていた。


いったい俺は、その心くばりを何回もらったのか。

どうして今さら気付いたのか。




今日は一回くらいは自分で待ってみよう。

2012年3月4日日曜日

目の前に座っていた君


席に着いたとたんに泣いていた。


どうして泣いているのか、その真意を未だに考えている。
悲しいから?寂しいから?怒りを思いだして?
おそらく、どれも正しい。


先日の電話では、怒り、大泣きし・・・そして、翌朝にメールがきたけれど、
俺からのメールに対しては一切の返事がない。
会って話しを聞きたいと来た電話では素っ気ない感情剥き出しだったにもかかわらず、
席に着いた瞬間に泣いていた。



俺に対する怒りだけではないよな。
正直でいない自分と、強く過ごせない自分がいるんだと思う。
俺に尋ねることは、その答えを聞くことによって自分が孤独感を感じ、辛くなって更に自分を振り切ろうとしている姿。
でも俺は、君が想像している生活をしてはいない。
多分、君が想定している回答が俺からかえってこない。


自分が大切だと思う人には、大切だと伝えようと決めている。
君は、俺にとって大切な人。
それで相手が自分とはコミュニケーションを取りたくないと言えばどうすることも出来ない。
ただ、大切だと思うことで大切なのは言葉でなくて、その行為。
そう信じているから、だから遠くからでも堂々と見るし、自分として出来ることはしている。



あの日結局、別れ際はいつものように目を合わせることなく去っていった。
その姿がずっと目に焼き付いている。
それから何百時間か経過した今でも、ずっと考えている。



あれから何度も自問自答した自分の答え。
別れたことが傷つけたのではなく、本当に傷つけたのは、きっと病気である人をどうにかしてやりたいというその主体的な行動だったね。



サーモンを頼んで、ふっと幸せそうに笑う、自分らしい自分が、後で孤独感を生むことが分かっていて悲しませたんだろうね。
積み重ねを、日々のちょっとした楽しいことの積み重ねが大切だと思っていたのに、俺がそういうことに気付くこともできず、出来なかったね。



俺が初めに言ったことを思い出す。
「ストレス溜めるならちゃんと話しなよ」っていうこと。
でも、俺が話さなかったことで、苦しめたね。それも謝らなければならないこと。
人はみなそうかもしれないけれど、マイナスなことは話したくない。
でも、それを話して理解し合えないと長く付き合っていけない。
俺は、誰とどういう形でつき合うとしてもそれを大切にしたいと改めて思う。


だから今でも、ちゃんと話したいと思っている。
今でも、でなくて今、最後に話しておきたいと思う。

それは、君がきっと大切な人だから。



君がどういう人で、どういう悲しい気持ちになるのか、その気持ちが分かっていたのに、話しをして、お互い理解をしないといけないとわかっていたのにも関わらず、最後にそれが出来なかったこと。


お互いの内的要因を見つめ直して、互いに傷つける会話や空気になるのではなく、互いに自らさらけ出して、そして話したいと思う。
それが出来なければ、きっとお互いに、本当に大切な人ではなかったということだね。



ピラミッド


会社のトップになるということは、ピラミッドの頂点に立つことで、
そこを目指さなければそこには辿りつけないということに、深く考えずに頷いていた。
勝手ながらに、マズローの欲求を表したピラミッドだけを思いおこしていた感もある。


先日、ある方の言葉を読み、自分の中でのパラダイム転換を感じた。


経営形態を図に表すとそれは逆三角形であるということ。
よく考えれば当然のこと。
多くのお客さんがいて、その下に会社で働く、最もお客さんとの接点の近い従業員がいる。
それをマネジメントする人間がいて、その一番下で経営者が支える。
会社の理念や目的という支点がある。

会社はトップダウンではなく、多くの従業員が一番お客さんと近く、
その意見を現場からトップに落としていく主体的行動の伴う会社が強い。

マネジメントする人間はその逆三角形を支える者なので支点に近くなる。
より大きなものを支え、判断をしなければならない。
その支点に理念がある。
そう考えると経営者は支点とイコール、ないしは支点のすぐ上にいる。





パラダイム転換を感じる時というのは、妙に嬉しくなる。


辿りつくのは人



会社をはじめて数カ月、最近になって気付いたことがある。
「ディズニーランドのように、素晴らしい会社を目指す権利を自分は得ている」
誰に何と言われようが、そういうことを目指してやっていくことをできる権利は得ている。
そして、スタートは切ったものの、まだスタート地点に限りなく近い今こそが大切であると改めて思った。
ここでのリードを間違えば、そこから進めていく過程でいかなるマネジメントを行っても
目指すゴールが間違っていれば辿りつかない。


素晴らしいと言われる会社の共通点。


会社としての理念や目標がはっきりしていること。
それが単に掲げられたものでなく、会社全体でその理念を社員に浸透させ、全ての判断のもとになること。
相手のことを傾聴しコミュニケーションをとること。
提供するモノやサービスよりも先に「人」が最も大切であり、それは顧客だけでなく社員も含められること。
全ての行動が主体的であること。


これら全てのことが、会社という組織の全ての個人が理解、共有されて行動している。
辿りつくのは「人」であり、それが全ての財をなす。
人を越える財はない。


これまでずっと、素晴らしいと言われる会社の何が素晴らしいかという時、
「マーケティング」という言葉で片付けている自分がいた。
そして自分なりにマーケティングを少しずつ勉強していた。

大きな間違いだった。


本当に素晴らしいモノやサービスを提供している会社は、人による心を動かす感動を提供していて、
だからこそ、その会社の商品やサービスのValueを人々は買う。
素晴らしい会社の最も素晴らしいのは、会社のパーソナルブランディングを育成していくことが根幹にあり、それがモノやサービスとなって表現されて世に出ている。
その、ブランドビルディングが素晴らしい。
ブランドというと商品ブランドを思い浮かべるが、それを紐解いていくとパーソナルブランディングに・・・、そして「人」に回帰する。






とあるラジオのコメントが耳から離れない。

後から振り返ると、分岐点は受験や進学や就職ではなく、その間に会った人や出来事とかが凄いデッカイ分岐点となって、今そっちの方向に歩いていたりする・・・。




先日、自分にとって大切な人と少し久しぶりに会った。
嬉しくもあり、どこか凄く残念なところを覚える違和感もあった。
そして様々なことを改めて考えるようになり頭から離れない。


本当に大切なコトを自問自答する。


もう一度、会って自分の考えている大切なコトを話してみたいと思う。
出来る限り傾聴して、出来る限り理解をしようとして、
そして、その上で話しをしたいと思う。


会社の大切なコトを考え、会社として何をしなければならないか、それを分解していくと自分がどうあるべきかを考えることに辿りついた。
すると、その根本的な、自分がしなければならない大切なコトが自己回帰してきた。
「相互理解のコミュニケーション」



その人が自分にとって、大切な人であることを改めて思う。



自分の行動が正しいかは分からない。
但し、考えたうえで、主体性のある行動で後悔するはずはない。


だから、もう一度会おう。



2012年2月18日土曜日

Practical Wisdom


自分の名刺に載せている。

“Practical Wisdom” : 「実践知」


状況によって適宜な判断が異なるため、Practical Wisdomはこれから先も自分で
知識を積み上げなければならない。
新しいロジックが開発されれば、それを知らないと使えない。
その判断ができない。


勉強は嫌いだ。でも、実践知として取り入れることは大好きだ。

だから、仕事が楽しい。



2012年2月11日土曜日

呼吸


久々のブログになってしまった。
自分のなかで、素晴らしい一週間を過ごしたこの間、感じたことがある。
こういう時こそ、このブログが自分にとって必要なものだということ。
自分にとっては、このブログは自分の何かを成長させてくれるものなんだと思う。
誰かに伝えたいわけではない。
ただ、こうやって書くことによって、仕事の中に活かせることが少しわかった。





ゼネラリスト : 特定の分野ではなく複数の分野においてある一定以上の知識や技術を持ち、
仕事をしていく人


正直、最近になって初めて知った言葉。
そして、スペシャリストとゼネラリストという言葉を自分に刻み込んで、ふと自分の知識やそれの活かし方、自分の欠如している部分で今後に成長したいと思うイメージをする。


プロフェッショナルになるためには、そのことに対して10,000時間必要と言われている。
そんな言葉を読み、過去の時間を計算する。
そしてまた、今踏み出した、学び出したことに対してプロフェッショナルになるためには、
10,000時間が必要だと考える。

そして考える、ゼネラリストのプロフェッショナルになるためには、何を学び、何に10,000時間を費やしていくべきだろうか・・・と。

成長が感じられる時は自分が嬉しい。
自分は日々、成長をしていきたい。
一日一つでいい。そうすれば、一年で365の成長がある。
成長の数を数値化してその成長が見えると、子供のころの身長が伸びた時のような嬉しさがある。



最近、以前に書いた、ある社長との仕事を行い始めた。
現場の人を知り、一緒に共創していく。
素晴らしいのは、社長がやりたいという意思を現場スタッフに浸透されていること。
社長の考えたことを一部の人がやっていて、現場は少しヒイた目で見ている状況を散見する。
今はまだ、相手の会社の一部のスタッフとしか行動をしていない。
しかし、その会社の誰に聞いても同じ言葉を聞く。
変わる必要性を感じ、一緒にやっていこうという言葉をかけてくれる。
素晴らしい環境。


今はどちらかというと、自分の少ない知識を教えることの方が多いけれど、
でも吸収できることは学びたいと思う。
そして振り返ると、教えるということは自分の知識を更に向上させなければならないという、
その意欲が湧いてくる。
今の、その会社との共創する仕事の一番の価値はその向上心を自分に与えてくれることでは
ないかと思う。


人は呼吸が止まると死ぬ。
酸素を吸って、二酸化炭素をはき出す。
本や人の話、様々な情報を吸収し、知識として仕事に活かしてはき出す。
その呼吸を続けていくことによって、自分の成長が続けていければいい。
それが、自分のいる業界で仕事して生きていくということ。


そして、人は会話をする。
新しいことは人生を豊かにする。
思い出は沢山あるほうがいい。


だからこそ、情報を吸い知識として吐き出す呼吸をしながら行う、
お客さんとの会話が“噺”であれば、より豊かになるんだろう。


2012年2月7日火曜日

一日


今日は、新しく出会った人が2人いた。

初めて一緒に商談する仲間が3人いた。

自分の意見をクライアントに突き通してみた。


新鮮な感覚であったり、新鮮な意見を聞く。


新しい人と出会う中である多くの発見は、
やはり多くの刺激がある。



久々に、ビールを飲みながら今の時間を過ごす。






2012年2月2日木曜日

耐えどき


最近、孤独感、恐怖感、押しつぶされそうな自分がいて、苦しい時がある。
怒りがこみ上げて、それをぶつける場所がない悔しさもある。
気丈にいても、弱くなる自分がある。
誰かにすがりたくなる自分がいる。でも、無理なこともわかっている。


そして、耐えどきだと感じた。


タイトルに「耐えどき」と書き込み、今、思う。
耐えどきでなく、自分から変わらなければならない時。
きっと、前に書いたように内的要因を見つめ直さなければならない時。
自分で何かを切り開かないといけない。
耐えると考えていたら、きっとそれは自分が待ちの状態。

多分、それでは明日も明後日も、何も変わらない。


サーカスに出で綱渡りをする自分がいる。
でも僕らには、下にネットが無いんですよ。。。と言った社長の言葉が頭をよぎる。


最近、とてつもなく実感してきた。
但し、今実感しているのは、綱渡りを始め、下をみてネットがない状態を見た自分。


人生を賭して決意したこと。
そりゃあ、ずっと、これから先、完璧なネットはできないことは承知。
でも、大きく丈夫なネットはできないかもしれないけれど、
網目がめちゃくちゃ大きいかもしれないけれど、
それでも作ることくらいは出来るはず。
もしくは、めちゃくちゃ太いロープくらいは張れるかもしれない。
ロープから木の橋くらい架けれるかもしれない。
いつか砂利道の橋になり、アスファルト敷かれた鉄筋の橋くらいにできるかもしれない。

というか、鉄筋の橋にしたらそこそこ大丈夫なはずだ。



さて、下を見ず、前を向くか。
もう一度渡り始めるか。

しかし、このロープ細いなぁ。。。。。でも、ちょっとブログというハケ口に感謝。


2012年1月31日火曜日

初めての


初めてのこと、というのは人生に色々ある。
毎日迎えるその日々自体が初めてのことだし、その日というのは二度と迎えない。



今日、クライアントと前職の部下について話をしていたら、
たまたまその元部下の子からメールがきた。
元部下は今、競合でもあり少し気を遣う部分もある。
但し、自分が初めてもっと新人の部下であり、大切な気持ちも変わらない。

その元部下宛てに、別のクライアント担当者から、私が元気にしているか?という
老婆心ながらの内容が書かれたメールがあり、それを転送してくれた。


その子を部下としてもったとき、暫くの間、新人は日報を提出していた。
自分にとって、日報を提出することはあっても、日報を提出される立場は初めてで、
すごく大切なものだった。
今日は何があったという日誌はいらない。
自分が教えたことで、その子は一日ひとつでも何か新しいことを得たのか。
日誌から、新しいことを得れていないと感じると、自身の教え方を反省する。
幸運にも、非常に良い部下だった。
好奇心に満ちていて、吸収しようとする気持ちを強くもっていた。
それは、教える自分の立場としても、更なる知識をつけないと考え、
常に上司として向上心を持たせるものだった。

すぐに結果を求めた、効率重視型の使い走りのデレゲーションでなく、
効果重視型の完全なデレゲーションを目指して育てようとした自分がいた。
時間も手間もかかるが、本当に良い経験だった。


今、元部下は競合としてかち合う場面がある。
それでも、自分のなかで“初めてもった”新人の部下であるのはその子が
最初で最後。
今でも少し遠くから成長する姿も見るのはとても嬉しく、
コンペで負ける怖さがあっても、嬉しさもある。


その頃の日誌は、今でも自分の手元にある。
初めての新人部下の日誌は、大切なもののひとつ。


また、その部下と競うコンペがある。
勝たなければならないコンペだけれど、日々、成長している姿の見れる嬉しい機会でもある。


いつか、その日誌とともに、御礼をしたいと思う。



2012年1月29日日曜日

言葉

以前に、元部下から「尊敬できる上司がいない」という言葉を聞いてから、
自身の今の環境を考えて怖くもなり、人の言葉に今までよりも耳を傾けるようになった。

今日も素晴らしい言葉に出会った。



“気遣いすれども、お構いせず”
京都の料亭、菊乃井三代目当主、村田さんの言葉。


料理に説明はしない。
村田さん曰く「説明すると言葉にひっぱられる。自分なりの楽しみ方ができなくなる」と。



手間暇かけられた料理は、おもてなしの心を表すもの。
でも、お客はそんな努力や苦労を気にしない。
語る必要はない。
食器や素材、技法など様々なものに最高を求めたその料理は、五感で体感するもの。
料理に対して語ることによる先入観は要らない。



そして、村田さんはもう一つ、

料理人にとって、料理はメッセージ。
料理屋はアミューズメントパークで、それぞれの料理がアトラクション。

であると。


自分の仕事をイメージする。


自分のメッセージは何か?
自分は何のアミューズメントパークをもち、何のアトラクションをもっているか・・・。


説明せずとも自分のクライアントに伝わるものは、きっと心を動かしている。
クライアントが提案を体感している・・・ということ。



どうやってクライアントに体感をさせるか・・・。
そして、アミューズメントパークとそのアトラクションをもう一度、
分解して組み立ててみよう。
組み立て間違いがあったかもしれない。




2012年1月26日木曜日

詐欺


自分の知る限りの被害者を含めると一体いくらの詐欺を行ったのか。
この世に存在すべきでない会社がある。

ニュースではみたことがあるが、実際に会うとまぁタチの悪いやつ。

そういうやつに限って乗り込むとギャーギャーと、営業妨害やら何やらとくだらない
怒鳴り声をあげる。


さ~て、今後どうするか・・・。







2012年1月25日水曜日

ドーンっ・・・


と心を突き刺された気がした。

「シャカリキさが足りない」、とそう言われた。
そして、相手の話を聞きながら昔の話を思い出す。

今、目の前で話してくれている社長も、以前はもっと苦労していた。
社長の下で働いていた時の自分を思い出せと言わんばかりの、
その姿を見ながら、自分の頭に焼き付けられていった。

シャカリキさ・・・かぁ。
釈迦力と書くなんて今まで知らなかった。


シャカリキ 


がむしゃらになる。懸命に取り組む。一心不乱。



「シャカリキ」なんてもうずっと聞いた覚えがない。
それでも、もう何年も前に、自分が小さかった頃に聞いていたような気がする。
おばあちゃんなのか、誰からなのか・・・そのような言葉を言われた覚えがある。


「シャカリキさが足りない」というその言葉が、ドーンと心に突き刺さった。



ロジカルに考え、合理性や効率性などを求めてどうやって行動するかも大事。
でも、具体性のない、そんな鼓舞する言葉が、悔しいけど嬉しく、
改めて初心に帰る。


実は、今年一番大切なことは、そういうシャカリキさかもしれない。


2012年1月21日土曜日

日が経つのが早い・・・

もう、前回書いてからほぼ一週間が経つ。
誰に見せるわけでもなく、誰かに何かを伝えようとしているわけでもないけれど、
自分の五感で感じたことを発することを試みてブログを始めて、また違った時間の早さを感じる。
それも、ひとつの発見なのかもしれない。


今週は、いつもに比べて、初めて会う人や初めてちゃんと話してみる機会が比較的多かった。
最近思うのは、「友達100人できるかな」という小学生になる時に歌ったあの曲をよく思い出す。
新しく、100人の人を仕事で繋がろうとしたら、それはどれくらい大きな自分の財産になっているのだろう、きっとこれまでとは違う何かをやり遂げ、新しい発見や実践知を手に入れているに違いないと思う。自習自得は、発することができてこと知識となる。

時々、方向性を失いそうな、カオスの状態に陥る。
カオスの状態から、ひとつのことを創造できればそこに道は開けるのだと信じ、
色々なものを取り込んでいきたい。

新しく話してみた人が多かった今週は、新鮮な意見や考えを聞けた。

これから出会い、100人と仕事をするということを数えてみてみようかと考える。

その先には、どんなことを得ることができているのだろうか???

今年初めての雪降る道を歩きながら、ふとそんなことを思った。


2012年1月15日日曜日

ポジティブに考えて臨む

ひとり社長が、ひとつの話を持ちかけてきた。
一緒に仕事をしていこう、という話があり、今度一度食事に行こうということ。


昨年、とある別の会社と共同したが苦い経験をした。
だからこそ、自分の会社のあるべき姿や理念というものを改めて見つめようと思った。


将来のあるべき姿に照らし合わせ、Win-Winの関係を築けるのかを熟考し、
腹の探り合いでなく、腹を割って話したい。
知財、売上、そこに割くべき時間、それによって他の仕事にどのような影響があるのか、
誰に影響を及ぼせば、ポジティブに進み、ポジティブな影響の輪が広がるのか。


そのことのゴールがどこで、そこまでのプロセスがイメージとして描けるように考えたい。


Win-WinまたはNo Dealをもって臨み、Win-Winが築ける方法を模索していこう。


共創するために自分の与えれること、相手から与えてもらえれること、
それでも足りない部分が何かを見つめなおしてから話そう。

そして、その前に社長の話を、社長の気持ちになってみて、理解しようとして、
聴いてみよう。



2012年1月14日土曜日

自分の範囲

context : (文章の)前後関係、文脈、脈絡

context marketing : 消費者がおかれた日時、場所、行動などのコンテキストを把握し、その状況にあった商品やサービスを提供するマーケティング

文脈効果 : 前後の刺激の影響をうけて、判断する対象の知覚が変化することを指す心理学用語

文脈効果には、トレードオフコントラストとカテゴライゼーションがあり、トレードオフには更に、バックグランドコントラストとローカルコントラストに分別される。


例えば、お風呂やさんの牛乳、表参道のサロン、海の家のラーメンなどは、提供される商品やサービスの価値は普段と同じであるが、おいしく感じたり、高級感を感じたりしてその商品やサービスへの知覚が変化する。
海の家で1000円のラーメンがあり、一方で海の家で2000円のフレンチが食べれたとすれば、個人的には1000円のほうがよっぽどおいしく感じるだろう。


と、ちょっとした備忘録。





さて・・・・、
船が港に着き、イカリをおろすと底が中心となって行動範囲が限定される。
最初の状態や数値、印象が後の行動に影響を及ぼす心理傾向にあらわれることを前述に例え、アンカリング効果と言う。


通常価格と特売価格によって製品の品質や性能でなく、価格割引率などに注目してしまう購買行動がおこったり、ブランドショップのショーウィンドウで高価な商品を見せることによって、店内に比較的安い商品を並べることにより、割安感を感じるとともに、製品の品質はショーウィンドウの品と同様にいいものであるという心理傾向になる。


ちなみに、松竹梅の3段階で価格設定を行った際、松は高く、竹は普通、梅は廉価と捉え、間の竹を選択するようになる心理状態を引き起こす。実は一部サービスではその効果を狙って、真ん中の竹で利益率を高くとれるようにしていることもある。
選択肢が2つしか無ければ選択は分散するが、3つあると妥協効果が働き、間をとる。



自分の生活でも、アンカリング効果によって行動や思慮範囲が狭くなっている可能性もあるはず。
今までの経験値に捉われず、もう一度物事も見直してみよう。



2012年1月13日金曜日

挨拶

前職を辞めてから時々、ひとりの女性社員の言葉を思い出す。
「おかえりなさーい」と、ちょっと高めの声で外から帰ってきたスタッフに声をかけてくれていた。

自分がかけていた言葉を思い返すと、「おかえりなさい」より何も考えることなく「お疲れさま」と言っていた。ただ、自分が感受したことを回顧すると、その「おかえりなさい」と言われた時は、何となく帰社した時にほっとしつつ、癒されていたような気がする。
「おかえりなさい」という言葉を大切にしたいと、そう思う。
と同時に、「おかえりなさい」でも「お疲れさま」でもどちらでも構わない。
きっとその言葉から感じていたのはその「心」なんだと思う。
心をもって挨拶をしたい。


宮崎県日南市飫肥という町にさきがけ挨拶という運動があるらしい。
城下町であった飫肥には、景観をそこなわない為に電線を地中に埋めたり、様々な工夫をしているそう。そして、観光業を大切にする町の取り組みとして、飫肥に来た旅行客などに対して、「こんにちは」と挨拶をするらしい。その教育が徹底されていて、小学生や中高生などが挨拶をする姿に、飫肥へ旅行した人たちが「感動した」などとブログにアップされているのが散見された。


最近では時代の流れからか「向こう三軒両隣」という言葉さえ聞くことが無くなったのに感じるのに、余所者を受け入れて挨拶をするというこの町の運動は少し感動した。


やはり、人生で“話す”回数が一番多いのは挨拶。


コミュニケーション術や交渉力、プレゼンテーション術など、話す“技”のことを勉強することが多いけれど、改めて自分も挨拶という基本を忘れずにしたい。
きっと、意識して声をかける挨拶によって、いつの間にか、自分の気づかないうちに何気ない習慣だけの気持ちのない挨拶になっていたことに気づくのだと思う。


昨年、カンヌでも受賞し注目を浴びたJR九州の開業記念のCM。
新幹線に向かって各地の住民が手を振っている姿は、初めてみた時に感銘を受けた。
CM自体が本当に素晴らしいものであったことはもちろん、あの手を振ることが、九州のSL人吉の走る路線でフレール運動(手を振るレール運動)として地域住民で行っていたことを知り、地域住民と共創した観光業への取り組みの素晴らしさに感動した。


今では自分のなかで、挨拶の素晴らしい地域=九州となった感がある。


久しく行っていない九州。
今年は一度行こう。


2012年1月12日木曜日

ふと・・・理念

働いている人は、経営理念というものをどれくらい意識しているものなのだろうか・・・と気になった。
少し調べてみると経営理念のない会社も結構あったりする。
但し、経営理念のある会社とない会社では業績にも差が出ているとのこと。

会社の設立者の考え、心の中にあるもので、一緒に働く者にいかなる状況を迎えようとこれだけは不変であるという信条。

自分はどれくらい意識していたかと顧みた。
過去を振り返ると、働いた会社の理念を意識していた部分もあったが、
会社の理念を考えながら将来の戦略を考えたことはなかった。

そんなことを考えながら時間を過ごしていると、過去や今の自分を考える。
過去の自分には明らかに協調性のない自分がいたし、利己的でわがままでしかなかった部分も必ずあった。独善的であった自分。 昨年、改めて仕事をするスタート地点に立ったとき、一緒に仕事をする人たちに対して本当に感謝し、仕事は一人では出来ないと痛感した。


それでもなお、今は、まだまだ独善的で未熟な自分がいることを感じる。
ゼロサムゲームになる欠乏マインドが存在している。



理念を考えた時、少し気になる字や単語がいくつかある。

共創・心・踊る・噺・燈火・興す・・・など。



結いの心を忘れず、個を尊重し共創を志し、生活に沢山の噺を興す。


それを心に留めて、仕事をしていきたい。

2012年1月10日火曜日

内的要因


2012年になり10日目。
今日から、仕事が本格的に始動する・・・と感じるのは自分だけだろうか。

新年を迎えるというのは本当に不思議なもので、
365日の1日が経っただけなのに、本当に新鮮な気持ちになる。
昨日までとは全く違う時間の次元に入った感覚に陥る。

ただ、その感覚は素晴らしいものだと思う。
何もすぐに変わることはないのに、新しい自分を発見できそうな気がするし、
旧年中の苦い思い出やちょっと後悔したことも一新できる。
そして新しい目標をたてる。


今年は、全てのことに対して、内的要因から自分を見つめようと、
そう意識して一日一日を過ごしていこうと思う。
どんなことでも、相手や周りの外的要因ではなく、内的要因から考える。
「仕方ない」という気持ちや言葉をなくしていく。

今までを思い返すと、「仕方ない」と思うことをやめ、
自分の内的要因を考えて行動することが非常に難しいかもしれない。
それほどまでに「仕方ない」と思ったり言葉にしたり、時にはそうやって判断ことを思い返すことができる。 「仕方ない」と思うことを「〇〇」と内的要因で考え、自分なりに文脈置換していこう。
そうやって意識して一日一日を積み上げていきたい。


ちなみに、先ほどテレビをつけると、女子サッカーの澤選手がFIFAの年間最優秀選手に選出されたと報道されていた。
心より、おめでとうございます。
きっと、色々な外的要因での苦労があったにも関わらず、全て自分自身のサッカー選手としての人生のために、内的要因にて己を見つめて日々精進し、その日々を積み上げてきた結晶なんだろうと思いながら見ていた。